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【京都市】右京区『月読神社』と秦氏・聖徳太子社

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

月読神社(つきよみじんじゃ、月讀神社)

京都市西京区松室山添町にあり、式内社(名神大社)で、現在は松尾大社摂社そして「松尾七社」の一社。

月読神社の創建は6世紀中頃から後半と推測され、境内に神功皇后ゆかりの安産信仰発祥の石「月延石」を御奉祀することから、「安産守護のお社」として崇められています。

「月読神社」説明書き
「月読神社」説明書き

日本書紀の顕宗天皇三年二月(487)の条に、阿閉臣事代(あへのおみことしろ)という者が勅命を奉じて任那に派遣されることになったが、月神が或る人に憑依して…
… 「我が祖、高皇産霊(たかみむすび)、天地を熔造(ようぞう)するの功に預かる。宜しく民地を以って奉れ。我は月神なり。若し請に依り、我に奉らば、当(まさ)に福慶(ふくけい)おらむ」…
との託宣があった。
事代は都に還り、このことを奏上した。
朝廷では月神の請をいれて山背国葛野郡の「歌荒樔田(うたあらすだ)」の地を奉られた。
そして月神の裔と称する壱岐の押見宿祢(おしみのすくね)が神社を造営し、祠官として奉仕した。
これが月読神社の創祀である。
その後、押見宿祢の子孫は世襲祠官として永く神社に仕え、本貫地の壹岐(伊岐)を氏の名とした。
この伊岐氏は、後に壱岐国の県主(島造)となった名族で、押見はその祖に当たる人である。
壱岐は地理的に大陸に近い関係で、壱岐氏は早くから中国の亀卜の術を我が国に伝え、これを中央に伝播んした氏族の一つで、神祇官にあって卜占の事に関与し卜部氏を名乗っていた。
卜占という聖職に携わるこの氏族が、その本貫地で自分等の祖神と仰ぐ「月神」に、氏族の安泰と繁栄を祈念すべく奉斎したのが、そもそも当月読神社の創始ではなかったろうか。卜占という聖職に携わるこの氏族が、その本貫地で自分等の祖神と仰ぐ「月神」に、氏族の安泰と繁栄を祈念すべく奉斎したのが、そもそも当月読神社の創始ではなかったろうか。
(オフィシャルサイトより)

渡来人である秦氏との関わりも深いようで、聖徳太子のブレーンであった秦氏の勢力圏に聖徳太子社があることにも驚きでした。

葛野郡一帯は早くから、帰化族の秦氏の勢力圏であったから、当然当神社も松室氏も秦氏の厚い庇護を受け親密な関係にあった。
このことは、当社の世襲祠官であった松室氏が、秦氏の支配を受けて松尾大社に代々奉仕していたことでも明らかである。(オフィシャルサイトより)

境内には、本殿 - 流造で屋根は檜皮葺、拝殿 - 入母屋造で屋根は銅板葺、願掛け陰陽石などがあり、陰陽石は左右の石を交互に触りながら願掛けをすると良いそうです。

「願掛け陰陽石」
「願掛け陰陽石」

月延石(つきのべいし)

「安産石」とも呼ばれ、安産の神として信仰されています。

『雍州府志』所載の伝説では、この石は元は筑紫にあり、神功皇后が応神天皇を産む際にこの石で腹を撫でて安産し、のち舒明天皇の時に月読神社に奉納されたという言われがあります。

白い石を頂戴し(1000円)願を書いてお祈りをするようです。

摂末社

御船社

「御船社」
「御船社」

祭神:天鳥舟命 松尾大社の末社にも属し、松尾大社神幸祭の際には、御船社で渡御の安全祈願祭が行われます。

聖徳太子社

「聖徳太子社」
「聖徳太子社」

祭神:聖徳太子 月読尊を崇敬した太子の霊を祀ったものとされてます。

『月読神社』が、聖徳太子のブレーンであった秦氏の拠点地域に建てられ、秦氏の始祖とされる「弓月君」なる人物の名前に『月』が入っているので、聖徳太子・秦氏政権の中心にいた神様かもしれないという説も。

かつて、平安時代中期の延喜式(えんぎしき)では、名神祭の対象となる神々を祀る神社「名神大社」に数えられるほどの歴史ある神社です。

松尾大社本社では、平安時代の作とされる3躯の神像(国の重要文化財)が伝えられるが、そのうち壮年男神像は月読尊と伝えられる。また月読神社では神像として女神像1躯が伝えられており、他の松尾大社摂末社の神像と併せて京都府指定文化財に指定され、現在は松尾大社の宝物館に所蔵・展示されている

御祭神である『月読尊』は天照大神の弟神であり、素戔嗚尊の兄神にあたります。天照大神が太陽神であるのに対して、月読尊は月神。『古事記』や『日本書紀』の神話で、天照大神の兄弟神で、夜を司る神として登場します。しかしながら、この神社の祭神はそれとは別の神と考えられています。

『日本書紀』によれば、第23代顕宗(けんぞう)天皇3年に大陸への使者の阿閉臣事代(あへのおみことしろ)に月神から神託があり「私は月神で、祖先は天地を熔造(ようぞう)した功績がある高皇産霊(たかみむすび)である。もし土地を用意して自分を奉(たてまつ)れば、福慶(ふくけい)があるだろう。」というものでした。

事代は都に還り、このことを朝廷に奏上すると、月神の要求にしたがい山背国葛野郡の「歌荒樔田(うたあらすだ)」の地が用意され、月神の末裔と称する壱岐の押見宿祢(おしみのすくね)が神社を造営し、祠官として奉仕、押見宿祢の子孫は世襲祠官として永く神社に仕え、出身地の壱岐(伊岐)を氏の名としたとか…文徳天皇の斉衝3年(856)に現在地に移った理由は、度重なる桂川の氾濫を避けて安全地帯の松尾山麓を選んだからとされます。

壱岐は地理的に大陸に近いので、壱岐氏は早くから中国の亀卜(きぼく)の術を我が国に伝え、神祇官として卜占(ぼくせん)に関与して卜部(うらべ)氏を名乗っており、祭神の月読尊は、元来は天文・暦数・卜占・航海の神だったそうです。

本殿南側には、穢れを除くと言われる「解穢(かいわい)の水」。現在は水は出ていませんでしたが、飲み水ではありません、と書かれています。

「高津商会」のある「太秦」から自転車でほぼ15分ほどの場所にあり、お酒の神様で有名な「松尾大社」の南400メートルの地に鎮座するこの月読神社、松尾大社は行けども、月読神社のことは知らなかったという京都人も多いようですね。

9月21日は「旧秋の明月」、たまたま偶然にも私が訪れた日。雲の合間に突如、聖徳太子社に光が当たり出し、晴れ間が広まったのが神秘的でした!

パワースポットとしても知られているようで、一人パワーチャージしたい時に、また訪れたい場所の一つです♪

月読神社
場所:京都市西京区松室山添町15
電話番号:075₋394₋6263
関連サイト:http://www.matsunoo.or.jp/tukiyomi/index/

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。ジャーナリスト、写真映像家、イベントプロデューサー、特殊ツアーガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深める毎日。

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