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【京都市】上京区『北野天満宮』の「ずいき祭」「マリア燈籠」「三光門」

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

「高津商会」が持つ「高津古文化会館」が存在する『北野天満宮』エリア。

映画美術装飾の老舗会社である『高津商会』の始まりは、明治45年(1912年)に古道具屋をしていた高津梅次郎の敷地を、「牧野省三」がこのエリアにあった撮影所への近道として通っていた際に、映画用に道具を借りたことから、と言われてます。その所持していた道具や骨董品、古美術の一部や文化財などを保管しているのが「高津古文化会館」です。

今回はその「古文化会館」があるエリアに存在する『北野天満宮』の「ずいき祭」と「マリア燈籠」「三光門」をご紹介。

ずいき祭

北野天満宮では、毎年10月になると『ずいき祭』という秋祭りを開催。

京都の代表的な秋祭りの一つとされています。

『ずいき祭』とはずいき(里芋の茎)で御神輿の屋根を葺くことから始まり、御輿各部が穀物や蔬菜(そさい)・湯葉(ゆば)・麩(ふ)などの乾物類で装飾され、新穀で作られた人物花鳥獣類が毎年異なった趣向で飾りつけられた御輿のお祭り。

菅原道真公が大宰府で彫られた木像を随行のものが持ち帰ってお祀りし、秋の収穫時に野菜や穀物をお供えして感謝を捧げたことが始まりと伝わります。

1年の五穀豊穣を感謝する祭のため、神前に新穀、野菜、果実などを供えたようです。

めでたい言葉の「瑞気」、うれしいという「随喜」の発音と同じことからめでたいとされ、「饋」の字は神様に食物を供える意味もあるそうです。

■2021年ずいき神輿は、ずいき祭期間中(10月1日~4日午前中)御旅所に展覧されます

(c)北野天満宮 北野文化研究所
(c)北野天満宮 北野文化研究所

京都市登録無形民俗文化財である『ずいき神輿』。

鳳輦(ほうれん)というお輿に御霊を移す出御祭が行われた後、導山を始め三基の鳳輦と松鉾他が本社を出て、宮司など神職を始め氏子崇敬者らが供奉、約150人余が祭列を整え氏子区内を巡行して、西ノ京の御旅所に到着します。着御祭に引き続き氏子地域より選ばれた女児による「八乙女田舞(やおとめたまい)」が奉納されます。

昔から、ずいきの実であるサトイモには親芋のまわりに子芋や孫芋がたくさん付くので、子孫繁栄の縁起物として知られてきました。人の「頭(かしら)」になるようにとの願いも込められます。

サトイモは栄養と効能も幅広く、アンチエイジングや眼精疲労の回復、そして骨が丈夫になるなど、ありがたい食材でもありますね♪

祭で役目を終えたお神輿は解体されて、また次の年の五穀豊穣を祈願しながら土に還されるそうで、とにかく自然に優しいお祭りです。

2021年度もコロナ禍にあるため、神幸祭・還幸祭巡行は中止となりました。

本日5日には后宴祭が行われていました。

花手水がいつものように綺麗にお迎えしてくれました。お神輿に合わせ、黄色の「狐茄子」が飾られ、ずいき御輿の花傘の上の生け花にも使われていたようです。

織部形石燈籠(マリア燈籠)

なんども訪れている北野天満宮さんでは毎回新しい発見があるのですが、今回は「切支丹(キリシタン)燈籠」(マリア燈籠)を発見しました!

古田織部(天文13(1544)年― 慶長20(1615)年)は、安土桃山時代の大名で茶人。武将としては、信長、秀吉に仕え、茶人としては、利休七哲(千利休の高弟である7人)のひとりです。千利休が大成させた茶道を継承しながらより奇抜な発想を好み、茶道具、造園、建築の分野で、「織部好み」と呼ばれる流行をもたらしました。古田織部は茶人として有名である一面クリスチャンでもあったそうです。

川端康成が著した『古都』の一節。

・・すみれの花の下あたり、もみじの根かたには、

古い灯籠が立っている。

灯籠の足にきざまれた立像を、千恵子の父は

キリストだと、いつか千恵子に教えたことがあった。

「マリアさまやおへんの?」と、

その時、千恵子は、

「北野の天神さんに、よう似た大きいのが

ありましたえ。」・・

三光門

三光門には、北側敗風の彫刻に「波上を飛ぶ二匹の兎」の中央に「三日月」があります。

今千本丸太町の旧大極殿跡からは真北に当り、代々天皇が北野天満宮を通拝されると、門の真上辺りに北極星が瞬くとの伝承があるそうな。

◆日・月・星—三辰信仰(さんしんしんこう)
御本殿前の中門は、日(太陽)・月・星の三つの光の彫刻があることから三光門と呼ばれる。
古代より、太陽・月・星の運行が天皇・国家・国民の平和と安寧にかかわるとして崇拝する信仰・三辰信仰がある。天神さまの御本殿前に配する三光門。
◆星欠けの三光門
三光門の彫刻には、日と月と三日月はあるが星はないといわれる。(*新撰京都名所図会による)平安京当初、大極殿が天満宮の南方位に位置、帝が当宮を遥拝される際 三光門の真上に瞬いていたので星は刻まれていないと伝えられている。
北野天満宮・社報274号によると・・十返舎一九の東海道膝栗毛に「綱の名は今だに朽ちぬ石燈籠 昔を今に三つ星の門」とある

奥が深い『北野天満宮』さんでは、毎月25日に天神市(天神さんーご縁日)が開催されていますが、コロナ禍でしばらくお休みです。小道具や、骨董品、着物から漬物、甘味もの、盆栽、アクセサリーまで様々なものを並べた露天が並びます。私もいつも、新しい骨董や着物などとの出会いを求めて通ってました。早く、日常の天神さんに戻ればいいですね。

北野天満宮
住所: 〒602-8386 京都府京都市上京区馬喰町
電話: 075-461-0005

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。ジャーナリスト、写真映像家、イベントプロデューサー、特殊ツアーガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深める毎日。

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