【京都市】下京区・六条「源 融」〜河原院跡〜
河原院(かわらのいん)は、京都六条にあった源融の邸宅です。源融(822~95)は嵯峨天皇皇子で、光源氏のモデルともされる人物です。
五条の橋の近くに「河原院跡」の説明書きがありました。
『源氏物語』の注釈書『河海抄』には、光源氏の邸宅「六条院」のモデルの一つが河原院だとある。また夕顔と一夜を明かした某院も河原院がモデルだという。
現在の下京区木屋町通五条下ルに「河原院址」の石碑がある。一帯は河原院の庭の中の島「籬の島」が鴨川の氾濫によって埋没したものと伝えられた「籬の森」の跡で、石碑の隣にある老木の榎は森にあった木の最後の1本だというが、石碑の位置は河原院の推定地より少しだけ外にはみ出ている。(wikiより)
そのそばにある老木の榎の裏側には、お稲荷さんがありました。
お稲荷さんの鳥居の中に入ってみると、厳かな雰囲気がします。
河原院には融の幽霊が出るということでも有名で、『今昔物語集』などにいくつかの話が載っているようです。
源融の死後、邸宅の河原院や宇治の別荘(平等院)は宇多天皇に奪われました。融の鬱積した怨念が幽霊となって河原院に現れたという話です。
<駒札より>源融河原院跡源融とは嵯峨天皇の皇子であり、源氏物語の光源氏のモデルと言われる人で、宇治の平等院そばにも別荘(別業)をもっていた。
平安時代初めに栄華を誇った源融の邸宅の跡碑で、京都河原町の地名由来を伝える碑でもあります。江戸時代には河原院跡地の一角に渉成園が造られました。
河原院の他にも宇治にも広大な別荘があり、後に平等院となりました。嵯峨天皇は32名もの子女を設けた為に、その内の大多数を臣籍降下し、皇族から追放したそうです。
江戸後期から明治期にかけて七条新地の名で繁栄した京都最大の遊廓地帯である『旧五条楽園』の近くにあるので、ちょっとレアな観光が楽しめますね!
ちなみにこの界隈は「この胸のときめきを (1988年の映画)」のロケ地だったそうです…
所在地:京都市下京区木屋町通五条下る東側