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【京都市下京区】『羅生門』復元模型と映画

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

羅生門の復元模型

長らく近隣ビルの地下で保管されていた羅城門の10分の1復元模型が、来訪者を案内するためのデジタルサイネージや照明設備と共に、現代の京の表玄関である京都駅北口広場に設置されています。

京都駅に降り立つと、記念撮影などをしている観光客を見ることがあるかと思います。

京都タワーと一緒に映るので、人気の写真スポットでもあります。

794年、約1200年前に、平安京の南端に
建造されたのが「羅城門」である。
門は、昼間だけ出入りをゆるされ、朝と夕に太鼓の音とともに開かれ、また閉じられた。
つまり、都の内と外がつよく意識され、都大路とその外世界を区切る
"門"として聳え立っていたのだ。年、約1200年前に、平安京の南端に建造されたのが「羅城門」である。門は、昼間だけ出入りをゆるされ、朝と夕に太鼓の音とともに開かれ、また閉じられた。つまり、都の内と外がつよく意識され、都大路とその外世界を区切る"門"として聳え立っていたのだ。

本来の「羅生門」はというと…五重塔で有名な「東寺」さんの近くの公園にあります。

平安京を貫く朱雀[すざく]大路の正門として、延暦13年(794)の平安遷都の際に建造された丹塗りの楼門があった場所。東西4.5キロ、南北5.3キロの京域中央部の南端に羅城門がそびえ、北端の朱雀門と相対していた。門は正面33メートル、奥行8メートル。二重閣瓦屋根造で棟両端に金色の鴟尾を置く。天元3年(980)の暴風雨で倒壊し、その後平安京の衰退とともに荒廃した。その様子は『今昔物語集』や、芥川龍之介の小説『羅生門』にも描かれ、鬼の腕切りなど能・小説・映画「羅生門」で有名。現在は南区九条通千本の児童公園中に石碑・駒札があるのみ。場所:南区唐橋羅城門町花園児童公園内

映画『羅生門』

大映京都撮影所が製作した映画「羅生門」ですが、日本映画の老舗会社である「高津商会」も小道具などで関わっております。この映画が日本映画の高度さを世界に広めたと言われています。

「高津商会」の本社近くには、『羅生門』(1950年)が1951年にヴェネチア国際映画祭グランプリの受賞を記念したものが飾ってあります。→ 以前掲載された記事をご参照くださいっませ!https://creators.yahoo.co.jp/kozushokairica/0100133407

『羅生門』(らしょうもん)は、1950年公開の日本映画である。監督は黒澤明で、三船敏郎、京マチ子、森雅之などが出演した。原作は芥川龍之介の短編小説『藪の中』と『羅生門』。平安時代を舞台に、ある武士の殺害事件の目撃者や関係者がそれぞれ食い違った証言をする姿をそれぞれの視点から描き、人間のエゴイズムを鋭く追及しているが、ラストで人間信頼のメッセージを訴えた。
同じ出来事を複数の登場人物の視点から描く手法は、本作により映画の物語手法の1つとなり、国内外の映画で何度も用いられた。海外では羅生門効果などの学術用語も成立した。撮影担当の宮川一夫による、サイレント映画の美しさを意識した視覚的な映像表現が特徴的で、光と影の強いコントラストによる映像美、太陽に直接カメラを向けるという当時タブーだった手法など、斬新な撮影テクニックでモノクロ映像の美しさを引き出している。
第12回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞、第24回アカデミー賞で名誉賞(現在の国際長編映画賞)を受賞し、これまで国際的にほとんど知られていなかった日本映画の存在を、世界に知らしめることになった。また、本作の受賞は日本映画産業が国際市場に進出する契機となった。(wikiより)

京都観光をしながら、映画や歴史に触れられるのは京都ならではの素晴らしい特権ですね。

京都駅の「羅生門」のライトアップも綺麗なので、紅葉狩りに出られる前、または帰り道に探してみてください♪

場所:京都駅北口
京都市下京区東塩小路釜殿町

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。ジャーナリスト、写真映像家、イベントプロデューサー、特殊ツアーガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深める毎日。

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