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【京都市右京区】SURVIVE-EIKO ISHIOKA /石岡瑛子展 デザインはサバイブできるか

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

石岡瑛子とは

私自身がNYに長年住んでいた間に、石岡瑛子さんの名前やデザインに触れる機会が多くありました。彼女のことを知ったのはジャズの帝王マイルス・ディビス財団とお仕事を一緒にしていた時のことです。『TuTu』というアルバムのカバーデザインが石岡瑛子という日本女性だと知り、すごく興味を持ちました。

デザイナー/アートディレクター。東京藝術大学卒。1961年、資生堂宣伝部入社。前田美波里を起用したポスターなどで頭角を現し独立。70年代にはパルコ、角川文庫など時代を揺るがす数々のキャンペーン、ファッションショーの演出、書籍デザイン他を手がける。80年代初頭に活動の拠点をニューヨークに移して以降は、美術及び衣装デザインなど、さらにボーダーレスに仕事の領域を広げ、舞台「M.バタフライ」でニューヨーク批評家協会賞、アルバム「TUTU」でグラミー賞、映画「ドラキュラ」でアカデミー賞を受賞するなど世界的評価を得る。作品集に『EIKO BY EIKO』『EIKO ON STAGE』、著作に『私デザイン』他がある。

太秦の『高津商会』本社から近いDNPのギャラリーである京都dddギャラリーで行われている第230回企画展「SURVIVE - EIKO ISHIOKA /石岡瑛子 デザインはサバイブできるか」2021年10月16日(土)~2021年12月18日(土)へとデザイナーである心友と訪問!

石岡瑛子(1938-2012)は、1960-70年代の東京で、資生堂、パルコ、角川書店などのアートディレクター(AD)として、広告界にセンセーションを巻き起こし、当時世の中にある「女性」のイメージをことごとく覆し、1980年代の「女の時代」到来の布石を打ちました。特に、70年代、最も熱いメッセージを送り続けた一連のパルコのポスターは、カメラマン、コピーライター、モデル等との親密でありながら、緊張感みなぎるコラボレーションにより、世界も驚くほどの表現水準に高まり、広告の領域を超えて強烈なアートとして時代を彩りました。本展は、2020年12月から2021年3月まで東京のギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)で開催され、好評を博した石岡瑛子個展を、再編成し巡回するものです。資生堂やパルコなどの広告キャンペーンの名作をはじめ、映画や演劇のポスター、レコードジャケット、自著を含めた多様なブックデザイン他、主に1980年代のニューヨークへ渡るまでの日本の仕事に焦点を当てます。さらに、日宣美賞受賞作品や学生時代のスケッチ、制作過程の一環を垣間見ることのできる校正指示やアイデアラフなど、クリエイティブに対する情熱を伝える作品・資料を、石岡瑛子の言葉とともに展開します。(HPより)

中に入るとすぐに、真っ赤な世界に引き込まれます。壁一面に彼女の生前の言葉が書かれていました。一つ一つ丁寧に読み、感銘を多大に受けながら会場内へ。

「ORIGINARITY」「REVOLUTIONARY」「TIMELESS」

彼女が大切にしていた言葉たちです。

本当に、ごもっともな言葉たちに包まれながら彼女の作品たちに出会います。

彼女の革命的な創造性、コラボレーションらは半世紀たった今やっと理解されるようになってきた、というところでしょうか。画期的な言葉や表現に刺激を受けまくり!

映画やエキスポなどのポスターも手がけてきた石岡さんは、常に日本を意識していたのでしょう。海外での生活するなかで、ルーツを忘れずその先鋭的な広告クリエイティブの世界を広げ、そのオリジナリティはしっかりと主張しています。

1985年、マイルスは30年以上契約していたCBSを離れ、ワーナー・ブラザースと契約を結んだ。移籍後第一作のレコードのアートワークとミュージックビデオの演出のディレクターとして石岡が指名された。そのとき、石岡はアーヴィング・ペンによる撮影を希望した。ペンと石岡はその時点で親交があり、「アーヴィング」「エイコ」と呼び合う中だったが、巨匠ペンにとっては小さかったその仕事を依頼してみた。「OK」の返事をもらったときは「ほんとうに身体中が青空で一杯になったような爽快な気分になる」(石岡瑛子『私デザイン』講談社 2005年)と書いている。しかし、いざ撮影が始まれば、音楽界と写真界の巨匠2人の間での調整に苦しむこともあった。1985年、マイルスは30年以上契約していたCBSを離れ、ワーナー・ブラザースと契約を結んだ。移籍後第一作のレコードのアートワークとミュージックビデオの演出のディレクターとして石岡が指名された。そのとき、石岡はアーヴィング・ペンによる撮影を希望した。ペンと石岡はその時点で親交があり、「アーヴィング」「エイコ」と呼び合う中だったが、巨匠ペンにとっては小さかったその仕事を依頼してみた。「OK」の返事をもらったときは「ほんとうに身体中が青空で一杯になったような爽快な気分になる」(石岡瑛子『私デザイン』講談社 2005年)と書いている。しかし、いざ撮影が始まれば、音楽界と写真界の巨匠2人の間での調整に苦しむこともあった。しかも、ただの調整だけでは済まされない。なによりも大事なのは石岡の意図を通すことだから。そうして、マイルス・デイヴィスのアルバム『TUTU』(1986年)の、顔と手だけをクロースアップしたイメージは完成した。これ以上、鬼気迫るマイルスを捉える方法はないと石岡は確信していたのだ。石岡は考えた。マイルスとより親密になり、この仕事を成功させたい。そこで、二人でメトロポリタン美術館のアフリカ館を一緒に見て回ったりもしたという。静かな館内でマイルスのルーツであるアフリカの美しい美術品、トルソやマスクを見たことは、彼の端正なマスクを捉える仕事に結実したわけだ。この仕事で翌87年、石岡はグラミー賞最優秀レコーディングパッケージ賞を受賞し、アーヴィング・ペンが撮影したその写真はニューヨーク近代美術館のパーマネントコレクションになっている。

マイルスを京都で感じることができたことに、至福の喜びを覚えました。また、そこに石岡瑛子という天才でクリエイティブ業界の先駆者が関わっていることに興奮を覚えます。

ジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラらと交流が深かった石岡さん。 2008年北京オリンピックの開会式では衣装デザインを担当したことでも話題になりました。

主に1980年代のニューヨークへ渡るまでの日本の仕事に焦点を当てた展示会となってますが、見所満載、とにかくデザイナーだけでなく、多くのクリエイターや刺激を受けたい人、世界や視野を広げたい人には必見の展示会です♪

京都dddギャラリー
2021年10月16日(土)-12月18日(土)
開館時間11:00-19:00 ※土曜日は18:00まで 
日曜・月曜・祝日休館 入場無料
〒616‒8533 京都市右京区太秦上刑部町10
TEL:075-871-1480   FAX:075-871-1267

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。ジャーナリスト、写真映像家、イベントプロデューサー、特殊ツアーガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深める毎日。

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