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【京都市】東山区「大仏」「大仏殿」と呼ばれる『方広寺』さんの秘密

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京に大仏さんがあったのをご存知でしょうか?

『京の大仏つぁん』、『京の大仏ぁん』などの名称でも知られるわらべ唄♪もあります。

京の 京の 大仏つぁんは
天火(てんび)で焼けてな
三十三間堂が 焼け残った
ありゃ ドンドンドン
こりゃ ドンドンドン
「うしろの正面 どなた」

今では、京都の人でも大仏があったことや、このわらべ唄を知らない人も多いかも。私には幼い頃から歌ってきた親しみのある唄です。(豆まささんの替え歌でも知られています!)

豊臣秀吉が発願した大仏(盧舎那仏)を安置するための寺として木食応其によって創建された方広寺さんは、豊臣時代から江戸時代の中期にかけて新旧3大仏があったそうです。

映画やドラマの小道具などで知られる「高津商会」が持つ、博物館「高津古文化会館」の「洛中洛外図屏風」にもその姿は見られるそうです。(現在閉館中)

方広寺鐘銘事件

また、梵鐘の銘文についての「方広寺鐘銘事件」は有名な話。

「国家安康」「君臣豊楽」の句が徳川家康の家と康を分断し豊臣を君主とし、家康および徳川家を冒瀆するものとみなされてしまいます。これがきっかけとなり、最終的には大坂の陣により豊臣家の滅亡を招いてしまったとされます。

屋根には天女が舞う中に、立派な銘鐘をみてなんだか複雑な気持ちになります。

豊臣家を滅亡へと導いた「国家安康」「君臣豊楽」の鐘。言いがかりなのか、意図して作ったものかどうなのか…

そして方広寺の隣には、豊国神社があり豊臣秀吉を祀っています。

豊国神社の鳥居から夕焼けが見れました。その先には耳塚と呼ばれる遺跡があります。豊臣秀吉が朝鮮半島に出兵した文禄・慶長の役(1592年~1598年)の遺跡とされます。

京都には本当に、多くの歴史があちこちに眠っていますね。JR京都駅から少し足を伸ばせば、「豊国神社」、「方広寺」、「三十三間堂」などで新たな史実に出会えるかもしれませんよ♪

方広寺
住所:〒605-0931 京都府京都市東山区茶屋町527-2
時間: 10:00~16:30(16:00受付終了)

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。ジャーナリスト、写真映像家、イベントプロデューサー、特殊ツアーガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深める毎日。

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