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【京都市】上京区『千利休居士・千宗旦居士遺蹟「今日庵」「不審庵」』

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

千利休とは、桃山時代の町衆茶人である、茶道の大成者です。

通称、与四郎、利休は居士号。堺今市に魚問屋を営む千与兵衛の子として生まれたそうです。

千家茶道の祖であり、わび茶の大成者として知られます。

信長、秀吉という2人の天下人に仕え、茶道千家流の始祖となった千利休。

茶道を政治に利用した豊臣政権下では、豊臣秀吉からの厚い信任を得て、政治運営のカギを握るフィクサーとして重要な位置にいました。

「利休」という名前は、わび茶を極めた称号として天皇から与えられたそうで、「鋭利を休めよ」との意味が込められていると千利休は解釈していますが、実際どうなんでしょう。

利休(1522~91)切腹後、豊臣秀吉(1536~98)から千家復興を許された父少庵(1546~1614)から不審庵を譲り受けた千宗旦(1578~1658)。

正保3(1646)年に不審庵を三男宗左(1613~72)に譲り、自身は北隣に「今日庵」を建てて隠居したと言われています。

その後、四男仙叟が継ぎ,裏千家の基礎が確立したと言われています。

この路地に「京の茶道」の極意が詰まっていると思うと感無量ですね。

茶道の流派の中には、表千家・裏千家・武者小路千家からなる「三千家」があります。茶道の道具も、流派によって違うそうです。表千家は千家の本流ということで古くからの作法を忠実に守ってきた流派。

表千家と武者小路千家で使う帛紗(ふくさ)の色は、男性は紫色で女性は朱色です。 さらに、お抹茶は薄茶の場合、よく泡立っているお抹茶が裏千家、あまり泡を点てないお抹茶が表千家と武者小路千家となります。 そして、正座の仕方にも男女で違いがあります。 裏千家では、男性はこぶし2つ分両膝をあけ、女性はこぶし1つ分あけて座ります。

表千家の茶室「不審庵」の裏手に「今日庵」があったことから、裏千家と呼ばれるようになったとか。武者小路千家は「千利休のひ孫宗守が興した茶道の分家筋で、武者小路通りにあった流派のこと」だそうです。

「高津商会」でも茶道具や茶室、茶席に置かれた小道具類は多く、時代劇映画や朝ドラなどでもみられます。

その後、千利休の高弟・古田織部は武家風の茶道を確率させます。その茶を学んだ小堀遠州がさらに発展させていったそう…

千利休は生誕500年を迎えます。

このエリアを歩き、武将たちや、このエリアに住んだ長谷川等伯、本阿弥光悦ら芸術家たちの歴史や作品を深く知ることで、茶の道を考えるとまたリンとした気分になりますね♪

場所:京都市上京区小川通寺之内上る東側

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。ジャーナリスト、写真映像家、イベントプロデューサー、特殊ツアーガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深める毎日。

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