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【京都市】上京区 聖茶人・千利休と関わり深い龍宝山『大徳寺』

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

大徳寺は、臨済宗大徳寺派の大本山の寺院で、山号は龍宝山(りゅうほうざん)です。

鎌倉時代末期の正和4年(1315)に播州の守護赤松円心の寄進により大燈国師宗峰妙超が開創、20を超える塔頭(たっちゅう)を有し、京都でも有数の規模を誇る禅宗寺院です。応仁の乱の後、大徳寺は「一休さん」の一休宗純(そうじゅん)が大阪・堺の豪商らの協力を得て復興しました。

国宝や重要文化財に指定されている建造物や絵画などがたくさん、日本文化に影響を与えてきました。

大徳寺の総門をくぐると、勅使門(重要文化財)の辺には「千躰地蔵塚」や、「平康頼之塔」と刻まれた石標がありました。

平康頼は鹿ケ谷の陰謀で、平家打倒を企てます。それがバレて、鬼界が島に俊寛や藤原成経と共に流された人物です。鬼界が島から千本の卒塔婆を流し、その一つが厳島(安芸の宮島)に流れ着き許されたと言われています。

茶の湯

利休は「茶禅一味」という茶と禅とは最初から結びついている、と説いてます。「茶の湯」の祖・村田珠光(むらたしゅこう)から、武野紹鷗(たけのじょうおう)を経て千利休によって「わび茶」が大成。『大徳寺』は俗に「茶面」と呼ばれるほど、茶道に通じています。

2022年1月17日(月)~3月18日(金)の期間、大徳寺『大光院』や『聚光院』では「京の冬の旅」で特別公開されています。

『大光院』は、豊臣秀吉の弟・秀長の菩提寺として奈良・大和郡山に創建され、後に大徳寺山内に移された寺院。「蒲庵」は、黒田如水(官兵衛)好みの茶室といわれています。露地に、如水の子・黒田長政と加藤清正、福島正則の三武将がそれぞれ一つずつ石を寄進したということから「三石(みついし)の席」とも称されます。

『聚光院』は、永禄9年(1566)、武将・三好長慶の菩提を弔うために創建。茶人・千利休と茶道三千家の菩提寺であります。利休が作庭したと伝わる「百積の庭」(名勝)や、茶室「閑隠席」(重文)と「桝床席」(重文)の二つの名席もあります。生誕500年の茶聖である千利休と天才絵師である狩野永徳の共演が見れるのも、ここだけだと言われています。

そんな、千利休が自刀するきっかけとなったのが、千利休の切腹の原因となった千利休像がある「金毛閣」。楼上に自分自身の本像を安置し、その下を高貴な人が通り、利休が踏みつけていると怒った豊富秀吉は、利休に切腹を命じ、利休は70歳で自刀します。

勅使河原監督・三國連太郎主演映画『利休』や、市川海老蔵主演映画『利休にたずねよ』などの映画でも茶道具などの小道具が活躍、また『大徳寺』では「鞍馬天狗」や「大岡越前」など多くの映画やドラマが撮影されています。「高津商会」や「高津古文化会館」にも朝ドラや映画に出演している”茶道関連の小道具”が多くあります、もっと深く勉強したく思う次第です♪

龍寶山 大徳寺(りゅうほうざん だいとくじ)
■ 住所 : 京都市北区紫野大徳寺町53

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。ジャーナリスト、写真映像家、イベントプロデューサー、特殊ツアーガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深める毎日。

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