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【京都市】『晴明神社』と『千利休』の不思議な関係

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

平安時代の陰陽師「安倍晴明公」をお祀りする神社である『晴明神社』。

魔除け、厄除けにご利益があると言われており、境内には、社紋である五芒星がいたるところに施されています。

映画『陰陽師』などでも人気を博し、日本中から観光客が絶えない人気スポットです♪

晴明神社が建立されたのは1007年(寛弘4年)。

平安時代の陰陽師「安倍晴明」の屋敷跡であり、安倍晴明が亡くなった後、一条天皇がそのみたまを鎮めるために創建したのがはじまりとされてます。

千利休の屋敷跡を示す石碑が建っています。武者小路千家(むしゃこうじせんけ)家元・千宗守が奉納したとされ、<晴明神社千利休屋敷跡>と書かれています。

千利休は草庵風の茶室を完成し、朝鮮の茶碗や日常雑器を茶道具に取り入れ、簡素・清浄なわび茶(草庵の茶)を完成した人物。

千利休が生まれたのは約500年後の1522年(大永2年)ですから、千利休は「晴明神社」の境内に住んでいたことになります。豊臣秀吉に振る舞った最後のお茶はここの「晴明井」からでた名水で淹れられたのでは、と言われています。

京都・一條戻橋も境内にあり、陰陽師の式神さまがいらっしゃると言われてます。式神とは、陰陽師が使役する鬼神のことで、人心から起こる悪行や善行を見定める役を務めるもの。

陰陽師は、古代日本の律令制下において中務省の陰陽寮に属した官職の1つで、陰陽五行思想に基づいた陰陽道によって占筮(せんぜい)及び地相などを職掌とする方技(技術系の官人。技官)として配置された者を指す

千利休といえば突然、秀吉から切腹を命じられたことでも知られています。切腹を命じられた理由は諸説ありますが、自刀をした後、戻橋にて『千利休』の首が晒されました。

堀川通沿いにある「戻橋」では立て札が掲げられていました。桜の花も綺麗に咲いていました♪

『晴明神社』でパワーをいただきつつ、お茶の歴史や千利休について考えてみるのも面白いですね。

晴明神社
〒602-8222 京都府京都市上京区堀川通一条上ル晴明町806
電話番号: 075-441-6460 ; 参拝時間: 9:00~17:00

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。ジャーナリスト、写真映像家、イベントプロデューサー、特殊ツアーガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深める毎日。

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