【京都市】東山区 「能の発祥地」といわれる『新熊野神社』でパワーチャージ♪
熊野信仰の盛んな平安時代末期、永暦元年(1160年)、後白河法皇によって創建された神社である『新熊野神社』。
後白河上皇お手植えの神木である『大樟』は京都市の天然記念物で樹齢は900年と推定と言われています。
『大樟』さんのさすり木に触れると良いそうですよ♪現在では「樟大権現」「樟龍弁財天」として多くの人々に信仰されており、「健康長寿」「病魔退散」、特に「お腹の神様」として御利益を求める人が後をたたないそうです。
法皇は一生のうちに34回熊野に参詣されていますが、当時の都人にとって熊野に参詣することは大変なことでした。熊野の新宮・別宮として創建されたのが『新熊野神社』だそうです。
京都には京都三熊野といわれる神社があり、それぞれ新熊野神社は熊野本宮大社、熊野神社は熊野速玉大社、熊野若王子神社は熊野那智大社というように熊野三山に対応しています。
長らく京の熊野信仰の中心地として栄え、「新熊野」と書いて「いまくまの」と読むのは、紀州の昔の熊野に対する京の今の熊野という当時の都人の認識が、その由来となっているそうです。
「京の熊野古道入り口」というのがありました。
そこに入ると、一つ一つアート作品とともに歴史が学べるようになっていました。
熊野神の化身である八咫烏(やたがらす)は勝利・幸運と言われています。日本サッカー協会のシンボルとしても知られていますね♪
「法住寺殿」と呼ばれたころ、「鎮守社」として新熊野神社が、「鎮守寺」として三十三間堂が創建され、その造営に当たったのが法皇の命を受けた平清盛・重盛父子でした。
「観阿(観阿弥)、今熊野の能の時、申楽(猿楽)ということをは、将軍家(足利義満)、御覧じはじめらるるなり。世子(世阿弥)、十二の年なり。」 と『申楽談義(観世元能著)』に記されていることから、新熊野神社が「能楽発祥の地」といわれています。
観世父子が世の中に出るきっかけとなったのが、今熊野での猿楽演能だったことを記しています。
文中3年(北朝の応安7年/1374年)、観世清次が猿楽結崎座を率いて、新熊野神社で猿楽能を奉納したそうですが、なんの演目かわからないことから、まさに「幻の猿楽(能)」と言われています。永和元年(1375年)に、この地で観阿弥、世阿弥父子が室町幕府将軍足利義満の前で猿楽能(今熊野猿楽)を舞ったことから「能楽発祥の地」とされているともいわれています。
熊野信仰は、神仏習合の祈りとも言われているようです。
お守りも八咫烏から芸能のもの、縁結びまでたくさんありました♪能の発祥地とされる「新熊野神社」で、パワーチャージ〜♪
新熊野神社
健康長寿・病魔退散・特にお腹守護
京都市東山区今熊野椥ノ森町42
電話番号:075-561-4892
ファックス番号: 075-561-4892