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【京都市】中京区 『東海道中膝栗毛』の弥次喜多さんと『池田屋事件』の刀傷跡

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都の玄関口の一つでもある、三条大橋。数々の歴史を見てきた橋です。

三条大橋は東海道五十三次の終点であり中山道の終点、 江戸からの長い道のりは三条で終わりです。

弥次喜多の像

その三条大橋の西橋詰にある弥次喜多(やじきた)の像。

江戸時代後期の戯作者・十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の『東海道中膝栗毛』に出てくる、人気者のお二人さんの像です。1994年に、三条小橋商店街振興組合が建立しました。

物語の中では伊勢詣での途中、大阪に行く前に三条大橋に近い宿屋に泊まった際、ハシゴを買わされるという、笑い話のような愉快な話がでてきます。

西院春日神社内にある旅行安全・還来成就の神である還来(もどろき)神社に御祈祷をしてもらって、ここに像が置かれたそうです。

春には、鴨川沿いの枝垂れ桜が、圧巻の綺麗さで、弥次喜多の像がある桜の木の下でお花見をしている人たちも少なくありません。

三条大橋

「三条大橋」は、擬宝珠を冠した木造風の橋は京都の風情を感じさせる代表的な橋のひとつ。

1590年(天正18)に豊臣秀吉が大改修したときの銘入り擬宝珠が残り木造欄干とともに威容を誇っています。古くなってきたので、建て替えをする案が出てますね。

この橋の近くに有名な、池田屋事件の池田屋がありました。

池田屋事件(いけだやじけん)は、幕末の元治元年6月5日(1864年7月8日)に、京都三条木屋町(三条小橋)の旅籠・池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を、京都守護職配下の治安維持組織である新選組が襲撃した事件。 池田屋事変、池田屋騒動ともいわれている。 近藤勇は書面で洛陽動乱と名づけている。

1864年7月8日(元治元年6月5日)に発生した「池田屋事件」で付いたとされる刀傷が、三条橋の北側と南側の2か所に現存していると聞いて見に行ってみました。

本物かどうかはわかりませんが、ロマンがありますね。

「高津商会」でも、新撰組の小道具や衣装を映画やドラマで提供します。こういう刀傷を見ると、なんだか歴史が身近に感じますね。

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。ジャーナリスト、写真映像家、イベントプロデューサー、特殊ツアーガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深める毎日。

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