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【京都市】中京区 「鵺」が出没した森があった⁈『東三条院址』と藤原一族

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

平安時代初期から後期にかけて藤原摂関家当主や皇族の御所として使われた邸宅跡を『東三条院』と呼びます。そこでは、夜な夜な藤原氏ら貴族による宴が行われていたそうです。

「東三条院の址」は、この京都の街中に広く存在しており、二条通〜御池通〜新町通〜西洞院通に囲まれた東西約130メートル、南北約280メートルに及ぶ細長い地域を指します。押小路通釜座西北角に「此附近 東三条殿址(このふきん-ひがしさんじょうどの-あと)」の石標が立っているのが見れますよ!

日本初の映画撮影所があった『二条城』の近くや今流行りの金色の鳥居がある『御金神社』のエリアですね。

もともとは、醍醐天皇皇子重明(しげあきら)親王の邸でした。

その後、平安時代初期に藤原良房(よしふさ)が譲り受け、その後は、藤原家ゆかりの女子で皇妃、母后となった人が居住する場所となったそう。

事実、超子は冷泉(れいぜい)天皇の女御(にょうご)となって三条天皇を、また、詮子は圓融天皇の女御となって一条天皇をこの場所で生みました。歴史物語の「大鏡」に書かれた藤原兼家が自分の孫に当る一条天皇を即位させるために、花山天皇をだまして出家させたという話は有名ですね…

詮子は一条天皇の即位後、皇太后となり、出家して自らを「東三条院」と称したそうです。

また、一説には、鵺の出没した森があったと言われています。

夜の鳥と書く「鵺(ぬえ)」は、「サルの顔、タヌキの胴体、トラの手足を持ち、尾はヘビ」声は野鳥のトラツグミのような不気味な声で鳴く怪物です。

かの有名な「平家物語」には、平安時代末期の「源頼政」にまつわる「鵺(ぬえ)退治伝説」もあるほどに有名な妖怪。

以前、『平安京遺跡『二条公園』と妖怪『鵺』伝説』について記述したものがありますので、ご参照くださいませ。https://creators.yahoo.co.jp/kozushokairica/0100198888

鵺の森は、この「東三条院の址」にあった森にいたという説と、「東三条大将軍社」の森にいたという説とあります。

どちらにせよ、このエリアが日本の歴史に大きな影響を与えたことには違いありません。先日ご紹介した『「BANANA to YELLOW」とコラボ中の素敵なカフェ『喫茶マドラグ』♪』の近くに碑はあります。

京都を歩いていると、コンビニよりも何かしらの碑にぶち当たる確率が高いです。歴史を感じながらの町歩きが楽しくて仕方ありません〜♪

東三条院の址
京都市中京区押小路通釜座上松屋町

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。ジャーナリスト、写真映像家、イベントプロデューサー、特殊ツアーガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深める毎日。

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