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【京都市】上京区 「応仁の乱」発端の地『御霊神社』(上御霊神社)は時代劇のロケ地にも

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都の人に、最近の戦いは?と聞くと…「応仁の乱」と答えるという笑い話があります。案外それは間違いではないようです。

1467年1月18日の早朝に「上御霊神社」の森の合戦から、畠山政長と畠山義就(よしなり)の合戦「応仁の乱」が始まったと伝わります。

「上御霊神社」は、「御霊神社」と呼ばれており、祭神として、崇道天皇(早良親王)、吉備真備、橘逸勢をはじめ、十三柱の神霊を祀ってます。

立派な菊御紋のついた石鳥居が印象的です!今は工事をされていますが、横の門から入ることも可能でした。

こちらの門から入ると、すぐに「応仁の乱の勃発の地」が見えました。

この広場で始まった戦いが11年も続いたのですね。

室町幕府の8代将軍、足利義政の後継者争いを発端として、全国の守護大名が2つに分かれて争った戦いです。

管領細川勝元(ほそかわかつもと)の東軍と、山名宗全(やまなそうぜん)の西軍が戦った内乱。

この戦いにより、実力がものをいう「戦国時代」に突入したと言われています。「高津商会」でも映画やドラマで甲冑たちが大活躍している時代ですね♪

境内は、とっても静かで緑がいっぱい。一気にタイムスリップしたような気になります。

もともとは、桓武天皇の時代に疫病が流行。早良親王(崇道天皇)の祟りだとされ、その御霊を祀るために794年に桓武天皇の勅願で創建されました。そのため「御霊神社」と呼ばれます。早良親王の祟りはよほどパワーがあったのでしょうね…長岡京遷都の折り政治的ないざこざから非業の死を遂げた早良親王。

「神泉苑」で御霊会が催された時に、慰霊された御霊は崇道天皇(早良親王)・伊予親王・藤原夫人(藤原吉子)・観察使(藤原仲成)・橘逸勢・文屋宮田麿らの六所御霊。この御霊会が「上御霊神社」と「下御霊神社」の創祀であると言われています。

崇道天皇(早良親王。光仁天皇の皇子)
井上大皇后(光仁天皇の皇后)
他戸親王(光仁天皇の皇子)
藤原大夫人(藤原吉子、桓武天皇皇子伊予親王の母)
橘大夫(橘逸勢)
文大夫(文室宮田麻呂)
火雷神(以上六柱の荒魂)
吉備大臣(吉備真備)

ご主神は「八所御霊」と呼ばれています。また、相殿として五社あります。

三社明神(小倉実起、小倉公連、中納言典待局(小倉実起の娘)、小倉季判)
和光明神(菅原和子・若宮)

絵馬殿や本殿だけでなく、境内はよく時代劇などの映画やドラマのロケ地として使われています。「暴れん坊〜」や「水戸黄門」などの撮影も行われたそうですよ。「高津商会」の小道具たちもこちらの境内でお世話になっているのですね♪

子供たちが無邪気に大きな甕の周りで遊んでいるような像があります。こちらは、清明心(きよきあかきこころ)の像と書かれてました。清く明るく直き正しい誠の心ということだそう。

コロナが早く収束して、平和の世が末長く続きますようにお祈りします…

御霊神社(上御霊神社)
住所: 京都府京都市上京区上御霊竪町495
電話:075-441-2260

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。ジャーナリスト、写真映像家、イベントプロデューサー、特殊ツアーガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深める毎日。

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