Yahoo!ニュース

【京都市】下京区 「平將門の首が晒された」跡地にある『京都神田明神』!

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都市の四条通を歩いていると、繁華街の中に気になる路地が現れました。膏薬辻子(こうやくのずし)とよばれる路地です。

膏薬辻子は西洞院通りと新町通の間にあり、四条通から綾小路通りへ抜ける狭い、長さ160メートルほどの狭い路地。その路地を入っていくと『京都神田明神』が出てきました。

京都神田明神』の祠がある場所は、「平將門の首が晒された」とされている地だそうです。

市聖と崇められていた高僧の空也上人が桓武天皇の5世の子孫・平将門公の首級を祀り祟りを鎮め厚く供養し建立した小祠

新釜座町に鎮座する『京都神田明神』は、940年の「天慶の乱」で戦没した将門の首を、空也上人が祀って供養したことに始まるといわれるそうです。

「平将門」公は桓武天皇五代の後裔で、東国において武士の先駆者で「兵(つわもの)」として名を馳せた人物です。

空也上人が供養したことから、「空也供養の道場」と呼ばれ、クウヤクヨウ〜がなまって「膏薬の辻子」と呼ばれるようになったとか。

「後世、ここに家を建てると祟りがあるというので、神に祀って神田明神と崇め、空也上人は将門の亡霊を供養すべく、ここに一宇の堂を建立した。」「空也上人は将門の亡霊をここに供養し、石を建てて印とした」と伝わります。

豪族藤原秀郷に攻められ、将門は下野猿島(茨城県坂東市神田山)で討ち取られました。

現在、将門終焉の地には、その霊を祀る国王神社が鎮座しています。

そして将門の首級は京都に届けられて東市(現在の西本願寺の地)で晒されました

京都神田明神」の御祭神は、平将門命・大己貴命・少彦名命です。

東京大手町の「将門塚」は、京の都で晒された首級が胴体を求めて関東に飛び、力尽きて落ちた場所とされています。様々な都市伝説が伝わる「将門塚」ですが、京都のこの場所から飛んで行ったのですね!

東京の将門塚にもあるカエルは、「無事カエル」という意味で置かれているそうですが、こちらのカエルさんたちも同じ意味で置かれているのでしょうか。

将門公の首が胴体を求めて飛んでカエル…無事に帰れますように祈りを込めたカエルさんなのですね。

京都神田明神

〒600-8471 京都府京都市下京区新釜座町726

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。ジャーナリスト、写真映像家、イベントプロデューサー、特殊ツアーガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深める毎日。

高津商会RICAの最近の記事