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【京都市】山科区 『興福寺』の前身である『山階寺跡』に見る中臣(藤原)遺跡と天智天皇の関係!

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都の山科区には、日本史上とっても大切な人たちが関わっていた場所があるのをご存知でしょうか?

飛鳥時代である7世紀(601-700)後半に、中臣鎌子(のちの藤原鎌足)は、山城国山階(現・山科区大宅)に「陶原(すえはら)館」とよばれる邸宅を構え住んでいました。

山階寺』は、その時に中臣(藤原)鎌足の妻の鏡女王によって創建された寺。

中大兄皇子(天智天皇)と共に「大化改新」を成し遂げた鎌足の「山階陶原家」附属の持仏堂が始まりと推定されています。

山科区には、その「天智天皇」の御陵もありますよ!二人の仲が知れますね。

過去記事参照→ 日本最古と言われる『天智天皇(中大兄皇子)』の『上円下方墳 山科陵』探訪♪

「鎌足は改新の成功を祈って、釈迦三尊像・四天王像を造ることを発願した。事が成就した後、山階の地で造像を行った。やがて重病になり、妻の鏡女王の勧めで伽藍を建て仏像を安置した。これが山階寺の始まりである」と奈良の「興福寺」に関する史料に記されているそう。

三条通りのメイン通りに面した角にあるこの石碑は、京都薬大前にあります。

鎌足の子の不比等が育った「山科の田辺史大隅らの家」も近くにあったそう。

「山階寺」はその後、大和(奈良)に移り「厩坂寺」と呼ばれ、更に和銅3年(710)の平城京遷都に伴い藤原不比等が現在地に移築し、今では五重塔や阿修羅像で有名な「興福寺」となりました。

「山階寺」は、奈良市登大路町にある法相宗の大本山「興福寺」の古称とされています。

また、山科盆地には「中臣遺跡」があり、古代豪族・中臣氏の所領でした。

過去記事参照→ 『中臣遺跡』で2万5千年前からの歴史ロマンを感じる!

「中臣遺跡」と呼ばれるエリアにある『二之宮(中臣神社)』には出世の神様がご鎮座!

奈良を代表する東大寺や春日大社と並ぶ観光名所でもある『興福寺』の前身が山科区の「山階寺」で、中臣遺跡のある場所にあったことがなんだか不思議な感じです。

中臣鎌足の病気治癒を願い、釈迦三尊像や四天王像などが安置されていたとされる「山階寺」にお参りしてみたかったですね♪

山階寺跡石碑
京都市山科区御陵大津畑町(三条通沿い)

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。ジャーナリスト、写真映像家、イベントプロデューサー、特殊ツアーガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深める毎日。

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