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【京都市】右京区 観光地「嵐山」にある『竜門橋 (歌詰橋)』と歌聖である西行の関係!

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都の観光名所の一つである「嵐山」。

『高津商会』の本社や映画やドラマなどの撮影関係所などが多くある「太秦」からも近いこともあり、「高津商会」の小道具たちが活躍している映画や時代劇などのドラマ、朝ドラなどでも撮影のロケ地として使われることも多い場所です。

何度も嵐山には海外からのお客様を連れて行ったりもしてますが、まだまだ知らないことだらけ!

世界遺産「天龍寺」からJR嵯峨嵐山駅へと向かって歩いているときに、この『竜門橋(歌詰橋)』を見つけました。

「天龍寺」の門前、東に通じる道にかかる「竜門橋」。

中世戦国期の「嵯峨」「嵐山」界隈は、京都における有数の宗教的都市として相当の賑わいだったそう。その総門にあたるのがこの橋でした。

今では、小さな橋ですが、その昔は西行も歌を詠んだほどの立派な橋だったのでしょう。

西行が返歌で負けたことで、この橋は「歌詰橋」と呼ばれるようにもなったそうですよ!

嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな――
(嘆け、と月がものおもいをさせるのであろうか そうではない 恋のためなのに月のせいだとばかりに 流れる私の涙であることよ)
百人一首第86番 西行法師

西行はこの橋のたもとにあった酒屋で歌を詠み返歌に詰まったと駒書にあります。

ある説には「歌詰橋(歌女[うたづめ])橋」と言われる所以になったのは、酒屋から梅の花と酒の匂いがする、するとある女が酒屋から出てきて西行と歌のやりとりをした、そのことから「歌詰橋(歌女[うたづめ])橋」と呼ばれるようになったという説があるそう。

また別の説では、橋の反対側から童子が現れ、歌を詠みかけてきた、西行は即座に返歌したが、童子はさらに返歌してくるが西行は返歌する、童子はまたも返歌するのに西行が根負けして歌に詰まり返歌できなかった、そこから「歌詰橋」と呼ばれるようになったという逸話があると教えてもらいました。

数珠掛け地蔵尊の祠も見られます。

西行は、嵯峨に庵を構えていた時期があります。

過去記事を御参照ください→観光地『嵐山・嵯峨野』にある西行井戸と百人一首にまつわる場所

ちょっとした道にも歴史や言われがあり、それらを発見する楽しみを持ちながら街ブラできるのは、京都ならではの楽しみ方かも知れませんね♪

竜門橋 (歌詰橋)
住所:京都府京都市右京区嵯峨天龍寺北造路町

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。ジャーナリスト、写真映像家、イベントプロデューサー、特殊ツアーガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深める毎日。

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