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【京都市】上京区 「安楽寺・一之保天満宮」は「北野天満宮御供所七保」で市内最古!?

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都の「北野天満宮」エリアは、実は日本映画の発祥地の一つとして映画にまつわる場所がたくさんあります。

映画やドラマの小道具で知られる『高津商会』ゆかりの地でもあります。

北野天満宮」といえば学問の神様で知られる菅原道真ゆかりの神社。

豊臣秀吉などの戦国武将にもまつわる、歴史深い場所です。

『高津商会』関連の博物館である『高津古文化会館(現在閉館中)』もこのエリアにあります。

そこには、かつて、「時鳥(子規、ほととぎす)天満宮」とも呼ばれた「一ノ保・安楽寺天満宮」があります。

ご祭神は、菅原道真、御霊社になります。

北野天満宮御供所七保の一つである「一之保神社・安楽寺天満宮」。

北野天満宮氏子地域の7箇所に北野天満宮の御供所が存在し、それぞれに天満宮を祀って神人が住んでいました。神人は普段、農商業に従事しながら御供所を守り、年に6回の祭事のときに神供を調理し北野天満宮に提供していました。7か所の御供所は一之保から七之保まで番号が振られ、七保と呼ばれていました。

境内には、島津製作所の島津源蔵さんが、円町で電球を作っていて利益を得られたことから熊鷹稲荷大神も設置されました。

905年菅原道真の家来が大宰府から道真手彫りの木像を持ち帰って創建されたという縁起を持ち、北野天満宮七保で最も古いそう。

北野天満宮よりも創建が早いんですね!(北野天満宮の創建は947年。全国に約1万2000社ある天神社・天満宮の総本社です)

神社と寺が同じエリアにあるという神仏習合により天満宮と一体になって安楽寺天満宮と呼ばれていました。

『安楽寺天満宮』の名は、延喜3年、道真公が死去した際に葬られた「安楽寺」から。

その後、明治時代の廃仏毀釈によって安楽寺は廃寺となり、北野天満宮境内に移され末社・一之保神社となりました。そして現在の地に分祀されました。

向かって右に一之保神社、左に奇御魂神社の2つの北野天満宮末社が鎮座されています。

境内には「不動石」や「一之保天満宮旧蹟」を示す石標もあります。

かつてこの地に北野天満宮一之保社が鎮座していたということです。

明治6年に北野七保が廃止されると、北野天満宮境内に遷されてその末社となりました。

「北野天満宮」エリアを探索される時は、一度参拝されてみてはいかがでしょう。

安楽寺一之保天満宮
住所;京都市上京区天神通上ノ下立売上る北町

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。ジャーナリスト、写真映像家、イベントプロデューサー、特殊ツアーガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深める毎日。

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