【京都市】下京区 旧花街「島原」にある『角屋』で「新撰組」の世界を堪能できる「京の夏の旅」♪
京都には、舞妓や芸妓などがいることで知られている5花街の他に、「島原」という花街があります。
その「島原」に残る「角屋」は、「揚屋(あげや)」建築の現存する唯一の遺構です。
「京の夏の旅」特別公開では、平常非公開の「角屋」を9月14日まで公開されています。
「島原」が開設された当初から残る「角屋」(重文)は、江戸時代、絢爛優美な姿でしられる太夫(たゆう)や芸舞妓を呼んで歌舞音曲を楽しむ饗宴の場で、当時の文化人や商人らが集う文化サロンでした。
~新選組も通った旧花街 重要文化財の揚屋建築~
7/19(水)~9/14(木)の公開(期間外は美術館を通常公開、月曜休館、祝日の場合は翌日休館)
幕末の志士も通っていた「角屋」には、入ってすぐのところに新選組隊士によるものと伝わる刀傷も残っています。
まずは、荷物を預けるロッカーに案内されます。そこには、地図が貼られていました。
荷物を預けると「台所」から履物を脱いで上がります。
昔ながらの台所の雰囲気が伝わってきます。
今でも水が出るのですか?と聞いたところ、おそらく使われていないので出ないと思う、とのこと。
ご機嫌な布袋様もお出迎えくださいます!
『高津商会』の『神護寺での時代劇の小道具展』の展示でいつも大人気な『帳場』のしつらえが「角屋」さんにありました!!!
また今年の11月18日からも「神護寺」の迎賓館で、実際に映画や時代劇で使用されている「高津商会」のセットに実際に触って座っていただき「映え写真」を撮ってもらえますよ♪
「箱階段」もありました!「新撰組」のメンバーもここを通ったと思うと感慨深い…
「刀箪笥」もありました。今のロッカーのような使用方法だった刀掛けの刀を納める箪笥。
刀を携帯しなくなった今では、これは貴重なものですね!その奥には神棚があります。
こちらが実際の「玄関」と「刀掛け」です。
玄関からわざと中庭が見えるような斜めの作りになっているそうです。
玄関から外をみるとこんな感じ。
両脇には、大木があったそうですが、災害で危なかったために切られてしまったそうです。
最初の広間に入ります。
今回は「松の間」「網代の間」などの1階部分が公開されています。
「網代の間」では、貴重な襖絵に光を当ててくれてその詳細をご説明してくださいます。
ここの部屋は一本一本の木で屋根を支えているので、2階の床は強くない、ということでした。
また「松の間」では、その広さに圧巻です!
時間によっては、「揚屋建築」「島原遊郭」「太夫と芸舞妓の違い」などの説明がされます。
また、「新撰組」についてもご説明がありました。
「松の間」から見れる庭も素晴らしい〜うっとりします。
お茶室も観れる庭には、「臥龍松」もあります。
西郷隆盛が行水に使用した盥や新選組掛売禁止の古文書なども特別展示されています。
入り口では「おくどさん」と呼ばれる「台所」に神様も祀られています。
ライトにも注目してください、と言われて上を見上げると「八方」と書かれていました。
「四方八方」の語源となっているそうですよ。
そして台所の壁には武器のようなものがありました。
「これ、何に使われたかわかりますか?」と。わからない、と答えると、「火事になったときに建物を壊して大火にならないようにする為の道具です!」と。
すごいですね、まさか建物を壊すとは!
「角屋」さんは、この期間外は美術館を通常公開されています。(「角屋もてなしの文化美術館」)
江戸時代の文化サロンだった「角屋」で、現存する唯一の揚屋建築の遺構と、新撰組の歴史を体験されてみてください〜♪
「高津商会」の小道具たちが活躍している日本映画や時代劇ドラマなどを思いながら、勉強させていただきました♪
お籠もそのまま残されています。
帰り際にふと上を見上げると「高津商会」のある太秦の「広隆寺」さんで見たことのあるようなお面が…聞くとやはり大酒神社(広隆寺)の牛祭りの際に被る仮面だそうです!
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いろんなご縁を感じる毎日です。
「角屋」
住所;京都市下京区西新屋敷揚屋町32