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【京都市】中京区 『織田信長時代此附近羽柴秀吉旅宿跡』の石碑と「祇園祭」の「八幡山」!

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

三大祭りの一つである「祇園祭」。

その「祇園祭」の山鉾「八幡山(はちまんやま)」がある新町三条では、「はちまんさん」とも呼ばれる、「石清水八幡宮」が祀られている山が飾られます。

町内に祀られている「八幡宮」を勧請した総金箔の社殿が山の上に置かれています。

鳥居の上で向き合う2羽の鳩左甚五郎の作と伝えられており、なかなかの見応えです!

その「八幡山」が祀られるところにふと目にしたのが『織田信長時代此附近羽柴秀吉旅宿跡』

の石碑。

側面に、「室町時代 祇園社領 三条町」と刻されています。

室町時代に祇園社領だった三条町は「片桐且元終焉地・松田行邸跡」だそうです。

その昔、この辺りには「綿座」(真綿を商うものの同業者組織)などに所属する商人が居住していたそう。

織田信長の時代、京都の政務に関わった羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)は、当町内の伊藤与左衛門(道光)方を旅宿にした(『言継卿記』天正4年<1576>11月20日条ほか)。秀吉は妙顕寺跡に築いた二条城(現中京区小川通押小路古城町一帯)、ついで聚楽城(現上京区智恵光院中立売山里町一帯)に居所を移す。

東隣地北側(「三条衣棚ツキヌケ」)には豊臣期の京都所司代前田玄以に仕え、のち徳川家康に属して同所司代板倉勝重らを補佐した松田勝右衛門尉(政行)の屋敷があった。

大阪夏の陣直後の慶長20年(1615)5月28日、ここに寄宿した豊臣家重臣片桐且元が死去している(「山本日記」)

この地に羽柴秀吉が寄宿していたのですね。

『高津商会』にも、羽柴秀吉(豊臣秀吉)ものがあり、甲冑体験ではいつも大人気です。

過去にも、「豊臣秀吉」関連の記事をなんどか書いたことがあります。京都の歴史において、「豊臣秀吉」の存在は大きいですね。

「豊臣秀吉」を感じながら京都の街を歩くのもいいですね♪

「織田信長時代此附近 羽柴秀吉旅宿跡」

〒604-8205 京都市中京区新町通三条下ル三条町342

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。ジャーナリスト、写真映像家、イベントプロデューサー、特殊ツアーガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深める毎日。

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