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【京都市】南区 空海の身代わりとなった『矢取地蔵尊』で必勝祈願!世界遺産『東寺』や『羅生門跡』近く!

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

世界遺産『東寺』さんでは、イベントが目白押しの10月です。

今年は、「嵯峨天皇」から796年に国家鎮護のため官立寺院として建立された寺院である「東寺」を造営した『弘法大師空海』さんの生誕1250年記念年。

また、弘法大師空海さんが、「東寺」を真言密教の根本道場と位置づけてから1200年という節目の年でもあります。

「世継地蔵」尊の特別ご開帳&特別御朱印授与

「弘法大師空海」さんが14年間住職としてもお勤めされた高雄『神護寺』さん。「そうだ、京都、いこう」のポスターで紅葉が有名なお寺さんです。

空海さんが、「大覚寺」にお住まいだった「嵯峨天皇」と交流を深めるきっかけとなった「神護寺」。

『高津商会』でも11月18日〜26日の期間、平常非公開の「世継ぎ地蔵尊」の特別ご開帳&特別御朱印授与と『時代劇の小道具展』が行われます♪ 時代劇のロケ地聖地でもある『神護寺』さんで、かの有名なドラマや映画の小道具の世界を楽しめる特別なイベント♪

この期間、お世継ぎや、子宝を願う方々が皇室御用達で平常非公開「世継ぎ地蔵尊」の特別ご開帳&特別御朱印授与の期間にお参りに来られます。

「東寺」から九条通を西へ進むと、かつて朱雀大路の南端にあったという「羅城門跡」。

日本映画創世期から美術装飾に携わってきた『高津商会』にとって、縁深い場所になります。

九条千本の「羅城門跡」の向かいにある小さなお堂 が見えます。

<右肩に矢傷がある『矢取地蔵尊』>

高さ約160cmのお地蔵さんの右肩に矢傷の跡が残っていると伝わります。

かつてのお地蔵さんは、木像で背中に矢傷があったそうですが、今のお地蔵様は石仏で、右肩に矢傷の跡が残っているそうです。

神泉苑』で繰り広げられた雨乞い対決で東寺の「空海」に敗れた西寺「守敏」が矢を放ったところ、地蔵が身代わりとなって空海は何を逃れた、と伝わります。

「空海」さんの身代わりとなったお地蔵さまは、左手に宝珠、右手に錫杖、矢を持っています。

かつては「矢負地蔵」とも呼ばれ、信仰が深く大切にされてこられました。

824年(天長元年)、日照り続きで人々は飢えと渇きに苦しんでいた。そのため第53代・淳和天皇の勅命により、東寺の空海と西寺の守敏憎都(しゅびんそうず)が神泉苑の池畔で雨乞いの法会を行った。先に守敏が祈祷するも雨は降らず、対して空海が祈祷すると三日三晩にわたって雨が続き、国土が潤った。これにより守敏は空海を恨み、ついて空海を羅城門の近くで待ち伏せ矢を射かけた。すると一人の黒衣の僧が現れ、空海の身代わりとなって矢を受けたためめ、空海は難を逃れた。空海の身代わりとなった黒衣の僧は地蔵菩薩の化身であっため、その後の人々はこの身代わり地蔵を矢取の地蔵と呼び、羅城門の跡地であるこの地に地蔵尊を建立し、長く敬ってきた。

「空海」さんの命を救った地蔵尊の化身である矢取地蔵尊。

お参りする人に「無病息災」「交通安全」など様々なご利益を授けている「矢取地蔵尊」では、日清戦争や日露戦争の際には、弾除けの祈願に訪れる人が多かったでそす。

野球「日本シリーズ」に向け、必勝祈願をしたく思います♪

矢取地蔵尊(矢負地蔵)
京都府京都市南区唐橋羅城門町1

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。ジャーナリスト、写真映像家、イベントプロデューサー、特殊ツアーガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深める毎日。

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