【京都市】上京区 『持明院仙洞御所跡』で南北朝時代の北朝の存在&「持明院家の祖」と言われる藤原家!
京都には天皇家に関係する場所があちこちにあります。
現在『光照院』が建っている場所には、1040年代に藤原基頼がこの地に「持仏堂」を建て、これを「持明院」と呼んだのが由来と言われる「仙洞御所」跡地の石碑があります。
藤原氏といえば、来年の大河にも関わる「源氏物語」にも関係がある方々です。
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藤原 基頼(ふじわら の もとより)は、平安時代後期の公家。
持明院家の祖と言われる藤原家です。
「藤原北家の邸」があり、邸内の持仏堂(安楽光院)に由来して家名は「持明院家」となり、屋敷も持「明院殿」とよばれました。
基家の娘陳子(北白河院,1173~1238)が後高倉上皇の妃だったことから,持明院は後高倉上皇(1179~1223)・北白河院,後堀河上皇(1212~34)の御所となったそうです。
「光照院門跡」についての説明書きがありました。
中は駐車場になっていましたが、その敷地の大きさからそこに御所があったのかと想像するとなんかロマンを感じました。
平安時代から室町時代にかけては藤原氏の邸宅、および天皇退位後の御所として使われた屋敷跡。
「光照院門跡」には山門が残っています。山号を「佛日山」と号する浄土宗の単立寺院で「常盤御所」と呼ばれていました。
鳥居も残されています。
南北朝時代の北朝の御所があったと言われる場所。
歴史がここから動いたのかと思うと感慨深くなります…
持明院 仙洞御所跡
場所;京都市上京区安楽小路町425