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【京都市】応仁の乱 洛中合戦勃発地・聚楽城 加藤清正邸跡・藤原道綱母子源頼光 一条邸跡加藤清正邸跡!

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都市には多くの史跡に関する石碑があります。

『応仁の乱 洛中合戦勃発地・聚楽城 加藤清正邸跡・藤原道綱母子源頼光 一条邸跡加藤清正邸跡』と書かれた石碑と説明書き。

陰陽師で有名な安倍晴明ゆかりの「晴明神社」近辺にありました。

「晴明神社」
「晴明神社」

過去関連記事をご参照ください→
『晴明神社』と『千利休』の不思議な関係

堀川通から東へ、一條戻橋を渡ってすぐの所に『藤原道綱母子 一条邸跡』石碑に書かれているのが見れます。

また同時に、「加藤清正邸跡伝承地」と書かれています。

安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名である「加藤清正」。

今放映中の大河ドラマでも出てくる人物でもあります!

少年の頃は豊臣秀吉に仕え、実の親子のように深い絆を感じていた加藤清正。

『高津商会』本社で行われている「武将体験」でも人気絶大な武将です!

賤ヶ岳の戦いでは「七本槍」の一人とされ、朝鮮出兵、築城、また武将として、マルチに活躍しました。

後に家康と親交を深めました。

安土桃山時代に関白となった豊臣秀吉が、この付近を流れる堀川の西側に京における邸宅、兼政庁として聚楽第を築城しました。

そのため、この周辺には多くの大名屋敷が立ち並んだという話しを地元の人に聞きました。

「一条戻り橋」付近にあるこの石碑のエリアは、『藤原道綱母子 一条邸跡』、『聚楽城加藤清正邸跡伝承地』、『応仁の乱 洛中合戦勃発地』とあって、ここは平安・室町・安土桃山の3つの時代に重要な場所となっています。

京都の人に、「先の戦争」が応仁の乱を指すのは定説といわれていますw

こちらは市街が焦土と化した「応仁の乱」において、洛中最初の合戦が起こった場所。

東軍の京極持清はここから「一条戻橋」を渡り西軍と戦ったという。

日本映画や時代劇ドラマ、ドキュメンタリー映画の小道具たちを美術装飾や貸し出しをしている「高津商会」にとってとってもゆかりの深いエリアでもあります♪

このエリアに時代を超えて史跡が集まっているのがすごいですね!

応仁の乱 洛中合戦勃発地・聚楽城 加藤清正邸跡・藤原道綱母子源頼光 一条邸跡加藤清正邸跡
場所;京都市上京区一条通堀川東入る松之下町57-13 (一条もどり橋を東にすぐ)

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。ジャーナリスト、写真映像家、イベントプロデューサー、特殊ツアーガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深める毎日。

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