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【京都市】西京区 大原野小塩山にある『大原野西嶺上陵』は第53代「淳和天皇」が散骨を希望した御陵!

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

日本映画や時代劇ドラマなどの撮影では『高津商会』の小道具たちが大活躍しています。その小道具たちが活躍する時代劇のロケ聖地の一つとして有名な『大覚寺』。

その「大覚寺」さんの北西の山上に「嵯峨天皇陵」があります。

奈良時代-平安時代前期の第52代・嵯峨天皇が弟の淳和天皇と並んで薄葬を望んだ天皇の陵墓です。

陵は朝原山(御廟山、190m)山頂にありそこからの絶景も素晴らしいです!

嵯峨天皇 嵯峨山上陵 〒616-0000 京都市右京区北嵯峨朝原山町

さて、嵯峨天皇の弟の淳和天皇の陵墓はどこにあるのか…

大原野西嶺上陵」が淳和天皇の陵墓とされ、京都市の西のようにある大原野という地域にあります。

歴代天皇で唯一、散骨された淳和天皇を祀る陵墓

大原野といえば、紫式部ともご縁のある「大原野神社」のあるところです。

「大原野神社」の中にも皇室ゆかりの井戸があります。

瀬和井」と言われる大原野神社の参道にある名泉で、 清和天皇の産湯の清水との伝承があるものだそうです。

淳和天皇の陵墓

平安時代の第53代・淳和天皇は、崩御された際に散骨を望み、骨は小塩山の山頂にまかれたといいます。

平安時代である840年5月8日に、淳和天皇は亡くなられました。

『続日本後紀』によると、遺骨は粉々に砕かれて大原野山中(西山嶺)上から散布されたそうです。

散骨を希望した淳和天皇は、陵墓を造らぬことで倹約に努め、民に負担を背負わせないようにするためという思いがあったそう。

もうひとつの理由は、魂が天に還ったのち、空虚(から)となった遺骸や陵墓に鬼が宿って世に災いをもたらすことがないように、というお心遣いによるものだそうです。

「大原野西嶺上陵」へは、金蔵寺の境内から歩いて行くのが最も早い参道ルートですがかなり登山になります。

小塩山(642m)山頂に長円丘が築かれている「大原野西嶺上陵」。

自然豊かな大原野に「淳和天皇」を思いながら、気をつけて参拝登山されてみてください。

「大原野西嶺上陵」
住所 〒610-1153 京都市西京区大原野南春日町

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。ジャーナリスト、写真映像家、イベントプロデューサー、特殊ツアーガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深める毎日。

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