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【横浜市】東京駅っぽい2代目横浜駅 わずか8年で焼失/関東大震災100年

krayskyライター/東京神奈川行ったり来たり(横浜市)

大正12(1923)年9月1日の関東大震災から100年。関東大震災は、毎年の「防災の日(9月1日)」のきっかけにもなった。地震とそれに続く火災で、建物の多くは失われてしまったが、横浜市内には当時の様子を伝える建物跡や遺構も残っている。その一つ、二代目横浜駅を訪ねた。

JR横浜駅東口から桜木町方向に歩くこと、約10分。首都高横羽線やJRの高架が集まる「高島歩道橋」から、山側に入る。市営地下鉄高島町駅のすこし北側に、かつての二代目横浜駅はある。

二代目横浜駅の遺構は、マンションを建設する際に見つかった。現在はマンション敷地内となっているが、住人以外も通行・見学してよいことになっている。

突然現れるレンガの跡!駅舎の基礎部分が残るのみだが、ここに「横浜駅」があったという貴重な証拠だ。

レンガの積み方や質感もじっくりと観察できる。

往時の写真も紹介されている。レンガを基調とした、横に広がる駅舎は、まるで東京駅のようだ。設計者はどちらも辰野金吾、そしてどちらも大正初期に完成した駅舎。白い石造りと赤いレンガによる特徴的なデザインは、「辰野式」と呼ばれている。

そもそも「横浜駅」の位置は、今日までに三か所を動いている。初代横浜駅は明治4(1871)年に、現在の桜木町駅の場所に完成。鉄道がはじめに開通したのは品川~横浜駅間で、横浜は終点駅だったわけだ。CIAL桜木町には「旧横濱鉄道歴史展示(旧横ギャラリー)」があり、ここが初代横浜駅だったことは広く知られている。

CIAL桜木町ANNEX、旧横濱鉄道歴史展示(旧横ギャラリー)
CIAL桜木町ANNEX、旧横濱鉄道歴史展示(旧横ギャラリー)

その後、明治20(1887)年に国府津まで、明治22(1889)年に神戸まで東海道線が伸びると、西に向かう経路に対して初代横浜駅(現・桜木町駅)はわざわざ南に寄り道をする位置にあるから、不便になった。西に向かうには、機関車をつけかえてスイッチバック運転をしていたという。

そこで建設されたのが二代目横浜駅。大正4(1915)年8月に開業し、初代横浜駅の方は桜木町駅に改称した。初代から現在の位置まで、横浜駅は徐々に北へと移動したことになる。

宮田道一「横浜駅略史」より(『鉄道と街・横浜駅』所収)
宮田道一「横浜駅略史」より(『鉄道と街・横浜駅』所収)

ただ、東京駅が関東大震災を生き延びたのに対し、二代目横浜駅は震災の火災で焼けてしまった。二代目駅舎は約8年しか営業できなかったことになる。

「横浜駅の惨状」、『大正震災志写真帖』より
「横浜駅の惨状」、『大正震災志写真帖』より

関東大震災の後、現在の位置に建設された三代目横浜駅は、昭和20(1945)年の横浜大空襲の被害も部分的で、50年の長きにわたり活躍する。ホームの増設や、1980年の東西自由通路開通を経て、現在にまで続く姿となった。

関東大震災の前後で、街の姿が大きく変わったということはよく言われる。開港時代の残り香が失われた一方で、現代に近い区画やランドマークが生まれたのが、100年前の大地震だった。

横浜市内では現在、関東大震災に関連した企画も複数行われている。神奈川県立歴史博物館(中区南仲通)「関東大震災―原点は100年前―」、横浜開港資料館(中区日本大通)「大災害を生き抜いて―横浜市民の被災体験―」、日本新聞博物館(中区日本大通)「そのとき新聞は、記者は、情報は――関東大震災100年」、横浜みなと博物館(西区みなとみらい)「関東大震災100年 船と港から見た関東大震災」など。身近なところから100年前に思いを馳せ、今を生きるヒントとしたい。

<関連情報>
二代目横浜駅 遺構
住所:横浜市西区高島2-1-1
アクセス:市営地下鉄高島町駅から徒歩1分、JR横浜駅東口から徒歩9分

※参考文献:三島富士夫・宮田道一『鉄道と街・横浜駅』大正出版、1985年11月。内務省社会局編『大正震災志写真帖』内務省社会局、1926年。

ライター/東京神奈川行ったり来たり(横浜市)

東京生まれ、東京&神奈川&アメリカ大陸育ち。出版社やメーカー勤務を経て、好奇心とともに東奔西走。好きな言葉は「一石二鳥」「三つ子の魂百まで」。文化/日本語/フィクションとノンフィクション/経済的/すこやかな生活。

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