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【横浜市】最後は愛が勝つ「花火の街」 横浜舞台の小説②/大佛次郎没後50年

krayskyライター/東京神奈川行ったり来たり(横浜市)

明治維新後の横浜を舞台に、時代に翻弄される元旗本を描いた大佛次郎「花火の街」。小説のラストには花火の上がる夜が描かれ、読後感は爽快だ。

小説の舞台を歩きながら、物語を味わってみる(小説のあらすじはこちらの記事も)。

・小説の舞台を歩く 洲乾弁天、競馬場(根岸森林公園・馬の博物館)、横浜税関
・フィナーレは横浜の花火

小説の舞台を歩く 洲乾弁天、競馬場(根岸森林公園・馬の博物館)、横浜税関

元武士の娘・お節は、「洲乾(しゅうかん)弁天」の縁日に、エリート青年・門田と出会う。洲乾弁天は現在の横浜新市庁舎付近にあった「洲干島」の神社。江戸時代にも横浜の名所として描かれた。

貞秀『神奈川横浜二十八景之内』(万延元年)より
貞秀『神奈川横浜二十八景之内』(万延元年)より

明治時代になって「厳島神社」と名前を変え、中区羽衣町に移転した。関内駅の西南、鎌倉街道沿いのビルの谷間にある。

生活のために古道具を売ろうと、縁日の片隅にいたお節。「いまは世間の人の顧みない古い屏風(びょうぶ)や蒔絵(まきえ)の道具、刀の鍔(つば)や印籠(いんろう)の根つけなどを置いて、カンテラの火の風に燻(くすぶ)る薄暗いところに、ぽつねんと坐っていた」。エリート・門田とは、置かれた環境が違った。門田は前触れもなく突然、お節を捨てて洋行する。

同じく横浜に暮らすのは、元旗本の是枝金四郎。金四郎は「競馬場(うまかけば)の先生」と呼ばれている。腕の立つ武士だったが、明治時代になった今は競馬場で馬の世話をしながら、賭博をして過ごしている。

「競馬場」とは、慶応2(1866)年にできた日本初の本格的洋式競馬場「根岸競馬場」のこと。昭和18(1943)年の閉場まで、現在の根岸森林公園にあった。廃墟然とした建物は、昭和5(1930)年に建てられた「一等馬見所」だ。

根岸森林公園
根岸森林公園

根岸森林公園
根岸森林公園

公園に隣接する根岸競馬記念公苑「馬の博物館」では、洋式競馬の歴史を展示しているほか、「ポニーセンター」には厩舎があり馬の見学が可能。日によっては、芝生のエリアで草を食む姿を見られることも(実施日は不定期)。

馬の博物館
馬の博物館

馬の博物館
馬の博物館

金四郎とお節には、明治維新によって身分を失ったという共通点があった。恋人に捨てられて絶望するお節を、金四郎は諭す。

「我慢して、生きているんだ。ええ。……生きて生きて、生き抜いて見せるんだ。ええ……諦めろとは言わねえ、強くなれというのだ。死ぬ覚悟さえあったら、出来ねえものはないはずだ。いいか、死、死んだら、お前、敗北だぜ」
――「花火の街」

金四郎とお節は共に暮らすようになる。だが穏やかな時間も束の間、金四郎は密輸入の罪で、税関に連れて行かれる。

その税関とは、お節を捨てた門田が帰国して赴任した横浜税関だった。

神奈川奉行所による「神奈川運上所」を前身として、「横浜税関」ができたのは明治6(1873)年。門田が赴任したころの税関は、この初代・横浜税関にあたる。当時は、現在の神奈川県庁舎がある位置にあった。

横浜税関 資料展示室
横浜税関 資料展示室

横浜税関 資料展示室
横浜税関 資料展示室

横浜税関は、関東大震災の後に建て直された3代目税関庁舎から「クイーンの塔」と呼ばれ、現在の位置に。改修を経たのが現在の姿だ。横浜税関の資料展示室(入場無料)では、税関の歴史や業務が解説されている。

大佛は自らの作品を、「種々なる人間の出てくる風景画」だと言う。

私の小説は、私小説ではなく、種々なる人間の出てくる風景画に近い。その人間を照明して浮き上らせている時代の光の戯れに、私はより深く興味を覚えたのである。――『風船』あとがき

洲乾弁天、競馬場、横浜税関といった横浜らしい場所を舞台に、様々な過去を持つ人物が登場し、小説をドラマティックなものにしている。

フィナーレは横浜の花火 

横浜における西洋花火の歴史は古い。明治時代になって海外の文化がいち早く入り、明治13(1880)年にはアメリカ独立記念日を記念した花火が上がるようになった。

小説の中ではすでに風物詩として、描かれている。蕎麦屋の職人と、金四郎の会話。

「花火にはおいでになりますか」
「花火?」
「へえ、明後日の……」
「そうか、もう七月だったな」
金四郎は微笑した。
「すっかり忘れていた」
「今年は大きな仕掛けがあるっていうんで、大分評判でございますぜ」
――「花火の街」

みなとみらいの花火(2022年8月撮影)
みなとみらいの花火(2022年8月撮影)

明治10(1877)年には、平山甚太が横浜で「平山煙火」を設立、のちに輸出用花火も手掛けた。趣向の凝らされた花火が、カタログに残っている。

横浜市立図書館デジタルアーカイブ「都市横浜の記憶」より
横浜市立図書館デジタルアーカイブ「都市横浜の記憶」より

金四郎が税関に連れて行かれたのは、この独立記念日だった。にぎやかな宵が、目に浮かぶようだ。

花火は昼間から打ち揚げられていた。まだ暮れ残った青い夏空に、綿の塊(かたまり)のように白い煙が上がっては、猫(ねこ)だの馬だの兵隊だの、いろいろの形をした風船を居留地の空に流していた(中略)花火が空にひろがるごとに、高い建物の窓硝子などに、色が映った。町並に沿って列になっている街燈の瓦斯がいつもより美しく見える宵である。港の方へ押し出す人波を、巡査や外人の兵隊が辻に立って整理している。――「花火の街」

それまで物静かな女性として描かれていたお節だが、金四郎を救うため、祝賀が行われている「グランド・ホテル」に乗り込む。

明治6(1873)年に開業、関東大震災で壊れるまで外国人向けホテルとして実在した、横浜の象徴的な建物だ。

横浜市立図書館デジタルアーカイブ「都市横浜の記憶」より
横浜市立図書館デジタルアーカイブ「都市横浜の記憶」より

お節は、危険を顧みずにかつての恋人と対決。地位や名誉を選んでお節を捨てた門田は、強烈なしっぺ返しを受けることになる。

物語は花火の日で終わり、その後は描かれない。しかし、金四郎やお節が互いを思いやり、力強く生きていくであろうことを確信できる最後になっている。

花火の元気と華やかさとともに、登場人物たちの「情」と生き様が心に残る小説だ。

<引用・参考文献>
・大佛次郎「花火の街」(『大佛次郎時代小説全集 第13巻霧笛』朝日新聞社、1975.10)
・大佛次郎「あとがき」、『風船』1972.9(『作家の自伝91 大佛次郎』日本図書センター、1999年4月所収)
・貞秀「横浜弁天町鳥居前通り并弁天町一丁目四ツ辻を見込池を渡り本社に至り内浦を見渡ス之図なり/海岸町一丁目舩場ハ神奈川洲崎明神前ヨリ此所へ渡木戸の内ヨリ本町一丁目なりうしろに弁天山の松林迄を見込ノ図なり (加奈川横浜二十八景之内)」『神奈川横浜二十八景之内』(国立国会図書館デジタルコレクション)
・「平山煙火カタログ」(横浜市ホームページ
・"Illustrated catalogue of day and night bombshells of the Hirayama Fireworks Co."(横浜市立図書館デジタルアーカイブ「都市横浜の記憶」)
・「横浜グランドホテル(海岸二十番) (17) GRAND HOTEL」(横浜市立図書館デジタルアーカイブ「都市横浜の記憶」)
・公益財団法人馬事文化財団 馬の博物館 ホームページ
・横浜税関 ホームページ

ライター/東京神奈川行ったり来たり(横浜市)

東京生まれ、東京&神奈川&アメリカ大陸育ち。出版社やメーカー勤務を経て、好奇心とともに東奔西走。好きな言葉は「一石二鳥」「三つ子の魂百まで」。文化/日本語/フィクションとノンフィクション/経済的/すこやかな生活。

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