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「誰しもが難民になる可能性があることを知るべきだ」イエメンの未来を描いた青年が、韓国で直面する現実

久保田徹ドキュメンタリー映像作家

リゾート地として有名な韓国・済州島に昨年、中東イエメンからおよそ500人の難民が押し寄せ、韓国人から反発が広がった。フェイクニュースがきっかけで広がったという反対運動は、70万人近くの署名を集めるまで盛り上がりを見せた。その一方で、済州島固有の歴史的な背景もあり、地元住民と難民の間に融和の輪も広がる。日本で移民・難民問題が山積する中、私は隣国へ飛び、運命を翻弄されながらも融和の道を探って必死に生きる一人のイエメン人青年に出会った。

済州島で暮らすイエメン難民の一人、アドナンは、内戦によって人生を狂わされた一人だ。アドナンは、イエメンの首都サナアの比較的裕福な家庭で生まれた。大学では経営学を修め、卒業後はNGO ”Better Future”を設立。自国で続く強制結婚などの人権問題に取り組む忙しい日々を送っていたという。

しかし、そんなアドナンの順調な生活は内戦により一変する。イエメンでは、2015年よりハーディ暫定政権とフーシ派反政府組織の衝突が激化し、内戦状態に突入。戦闘による犠牲だけでなく、物価の高騰とインフラの破壊により数百万人が飢餓に直面している状況は「世界最悪の人道危機」とも呼ばれる。

2014年9月、首都サナアはフーシ派武装組織により占拠され、危機を察知したアドナンの家族はカタールへ逃れた。アドナンは家族と別れ、イエメンに残ることを決意する。一人母国へ残った理由を、アドナンはこう語る。「自分にはまだやるべきことがあった。自分の団体を通じて人々を助けることが出来ると信じていたので、イエメンを離れることは考えられなかった」

2015年8月、アドナンは自身の運命を決定づける事件に襲われた。フーシ派の武装勢力に誘拐され、軍事基地へと連行されたのだ。アドナンは賄賂を払うことでかろうじて命を救われたが、この事件をきっかけに国外へ逃れることを決めた。その後、マレーシアへ渡航し、3ヶ月の観光ビザを取得した。アドナンは、イエメンの内戦が収まるまでの一時的な措置のつもりだったと言う。「内戦が終わるまでマレーシアで過ごし、その後はイエメンに帰って仕事に取り掛かる計画だった。しかし1年を経過しても状況は変わらなかった。貯蓄を頼りに暮らしていたが、限界が来ていた」と彼は語る。難民条約に加入していないマレーシアでは、難民を庇護する仕組みが整っていない。法的な就労が許されてないため、アドナンは貯蓄を頼りにその日暮らしの生活がやっとであった。2018年5月、アドナンは知人からの情報を頼りに、難民条約批准国である韓国へと向かった。「他に選択肢がなかったんだ。難民を受け入れる国をずっと探していた。韓国へ行くことができると聞いて、24時間以内にすぐチケットを取っていた。」

済州島へと行き着いたイエメン難民たちを待っていたのは、韓国人たちの激しい反発だった。ソウルや済州市で大規模な反難民デモが頻繁に行われ、難民の強制送還を求めるオンラインの嘆願書に70万人以上の署名が集まった。インターネット上では、フェイクニュースが拡散され、反難民感情を刺激するのに一役買っていた。

当事者として韓国人の反発感情を目の当たりにしたアドナンは、相互理解のために何か出来ないかと考えた。韓国人とイエメン難民が触れ合うきっかけとして、Facebookページを作ることに決めた。交流会などの情報をページ上でシェアすることで、イエメンについて知ってもらう機会を提供した。
「多くの人々は、難民に関する悪いニュースを聞き、難民を怖がります。しかし、実際に会い、私たちのことを知った人々は、怖がることはないでしょう。」ある日の交流イベントでは、イエメン内戦について知るために多くの人が集まっていた。アドナンの顔なじみとなった地元の韓国人と、イエメン人たちが互いを思いやる様子は、文化の違いを越えた友情の可能性を表していた。

「済州島の住人はイエメン難民の受け入れに賛成している人が多いと思います。なぜなら上の世代が同じような経験をしているからです。」そう語るのはNGO「済州ダークツアー」のガユンだ。

かつて、日本の植民地支配から独立した後の朝鮮半島は内戦状態に突入し、多くの犠牲を出した。とりわけ済州島の人々は過酷な道のりを辿ることになる。済州島では、朝鮮半島の南北分断に反対していた住民に対する警察の抑圧が続いていた。1948年4月3日、横暴に耐えかねた済州島の住民が武装蜂起したことをきっかけに、政府は住民の鎮圧を開始し、島の人口の一割が虐殺された。その結果、5千から1万人が惨劇を逃れ日本へ亡命する事態となった。1947年から54年の期間に韓国政府によって行われた一連の弾圧は「済州4・3事件」として記憶されている。
ガユンによれば、悲惨な歴史を共有している済州島民だからこそ、現在のイエメン難民たちの状況に理解があるのだという。「私たちは4・3虐殺のような悲惨な事件を繰り返さないようために活動しています。内戦から逃れたイエメン難民を支援することは、私たちにとって重要なことです。」

アドナンは現在、ガラス工場で働きながら生計を立てている。9時間の肉体労働を終え、体を休めるだけで日々が過ぎていく。「イエメンで暮らす未来しか頭になかった。今の状況で、この国にどれくらい居させてもらえるのかわからないし、先のことを考えられない。」アドナンは、勤務を終えて疲れきった様子で語る。

人の流れが国境を越えて流動化している時代、難民問題は誰にとっても他人事では済まなくなっている。アドナンは「誰しもが難民になる可能性があることをみんな知るべきだ」と私たちに問いかける。

受賞歴

International Independent Film Award 2020 -Platinum Award
Short to the Point 2019 November -Official Selection
Fastnet Film Festival 2020 -Official Selection

クレジット

監督・撮影・編集 :久保田徹
音楽:audionetwork
プロデューサー: 金川雄策

ドキュメンタリー映像作家

1996年神奈川県生まれ。慶應大学法学部在学中の2014年よりロヒンギャ難民の撮影を開始する。以降、BBC,NHKなどにてディレクター、カメラを担当。社会の辺境に生きる人々、自由を奪われた人々に寄り添いながら静かにカメラを向け続ける。2022年7月にミャンマーにて撮影中に国軍に拘束され、111日間の拘束期間を経て帰国。ミャンマーのジャーナリスト支援するプロジェクト「Docu Athan」を運営している。

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