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「夫のために、真実を知りたい。私にできることは裁判」―「森友学園問題」で夫を亡くした赤木雅子さんの今

久保田徹ドキュメンタリー映像作家

近畿財務局の職員だった赤木俊夫さんは、上司から「森友学園問題」に関する公文書の改ざんを命じられたのち、2018年3月7日に自ら命を絶った。苦悩、後悔の思いを綴った手記が、妻・雅子さんの手元に残っている。2020年3月、雅子さんは俊夫さんの手記を公開し、国賠訴訟をすることを発表。

雅子さんが裁判に取り組みながら、災害ボランティアに励んでいる姿をドキュメンタリーで描いた。

●誰かのために働くことで、居場所を得た

「この村の人の声は届かない。私は裁判をして自分の声を上げられるからまだいいけど、お互い見捨てられてるな、と感じる」

2020年10月、赤木雅子さんは熊本県の球磨村で、道路を覆う土砂をシャベルでかき出していた。

7月の豪雨で球磨川が氾濫し、65人が犠牲となって、地域は甚大な被害を被った。コロナの影響で県外からのボランティアは自粛。支援の手が届かず、村は数カ月が経過しても、瓦礫の山が積み重なっていた。

雅子さんは、2018年から災害の被害を受けた地域で支援活動をしている。きっかけは、サッカーと通じたボランティア活動で知られる、ちょんまげのカツラがトレードマークの「ツンさん」こと角田寛和さんと知人を通じて知り合ったことだった。

初めてツンさんたちとボランティアに参加したのは、2018年10月。埼玉県松本町の水害だった。ツンさんは当時の雅子さんを「とてつもなく暗い人」だったと振り返る。しかし1年後、熊本で再会した雅子さんは別人のようだったとツンさんは言う。
「やっぱり誰かのために働くということが、雅子さんに居場所を与えたんじゃないかな」

雅子さんは今、こう語る。

「亡くなった当初は『早く夫のもとに行きたい』と、それしか考えていなかった。けど、私が元気でいることが一番の供養になるんじゃないかなって。私はただ、健康に前に進む」

●なぜ夫だけが犯罪者として死ななくてはならなかったのか

近畿財務局の職員だった赤木俊夫さんは、上司から「森友学園問題」に関する公文書の改ざんを命じられたのち、2018年3月7日に自ら命を絶った。俊夫さんの苦悩、後悔の思いが綴られた手記が、妻・雅子さんの手元に残された。

2020年3月18日、雅子さんは俊夫さんの手記を公開し、国賠訴訟をすることを発表した。改ざんを命じたであろう、俊夫さんの上司たちは全員不起訴となるばかりか、異例の出世をした者も多い。

「実際に改ざんした行為は犯罪行為だから、夫は犯罪者だと思っています。ただ、なぜ夫だけが犯罪者として死ななくてはならなかったのでしょうか。誰が指示をして、それに夫がどう抵抗して、それでも苦しみながら犯罪行為をさせられたのか。私は夫のために、真実を知りたい。」

2021年3月、東日本大震災から10年が経とうとする頃、雅子さんはふと思い出したことがあった。「夫は震災直後に支援活動に行っていた」。俊夫さんの手帳を見返すと、宮城県の七ヶ浜町だと分かった。森友学園問題を取材し続けている相澤冬樹記者と、町役場を訪れることにした。夫の写真も残っているらしい。

七ヶ浜町の町長である寺澤薫さんと町役場の職員たちは、2人を温かく迎え入れた。震災当時、寺澤さんは俊夫さんとともに、町民への罹災証明の発行手続きなどを担当したという。寺澤さんが差し出した当時の写真には、俊夫さんがはっきりと映っていた。写真を見ると、雅子さんは小さく悲鳴のような声をあげた。

「つらかった。夫の顔を見るのが。誇らしげな堂々とした顔をしていた」

写真の中の俊夫さんは、背筋を真っ直ぐに伸ばし、ペンを力強く握っている。俊夫さんの手元を見て、指先についているゴム製の指サックに気がついた。

「写真を見て、思い出した。指サックを一つ、被災地から誤って家に持って帰ってきたことを悔やんでたのよ。被災地の貴重な物資を持ってきてしまったって」

10年の年月を経て、俊夫さんがいた町を訪れ、同じ海岸を歩いた。

「私が今ボランティア活動をしてるのも、夫が導いてくれたような気がする」

2021年3月11日、雅子さんは、甚大な被害を受けた宮城県名取市にある町・閖上(ゆりあげ)を訪れた。ツンさんの紹介で、震災の記憶の語り部として活動する丹野祐子さんに会うためだった。丹野さんが立ち上げた資料館『閖上の記憶』が行う追悼式では毎年3月11日、亡くなった人へのメッセージを込めた鳩風船を空へと放ってきた。この頃は震災の犠牲者だけではなく、大切な人を亡くした人々が集まっている。遺族たちには、共通の願いがある。

「その人がこの世界に生きていたことを、覚えていてほしい」

午後2時46分、雅子さんも、俊夫さんへの思いを書いた鳩風船を空へ飛ばした。

3月22日、雅子さんは50歳の誕生日を迎えた。その後1週間もたたずに俊夫さんの誕生日がやってくる。

「私は50歳になりました。いつか、私もトシくんの歳を越えるときが来るのでしょうか。歳を重ねることができないトシくんはかわいそうです。私は、この1年間でたくさんの人に出会って、変わりました。トシくんが今の私の姿を見たら、きっと『おもろいことしてるなあ』って言ってくれますよね」

この映像の公開日である2021年3月28日は、もし赤木俊夫さんが生きていれば、58歳を迎えるはずの誕生日だった。俊夫さんへ、現在の雅子さんの姿を伝えるためのプレゼントとして贈りたい。

監督 / 撮影 / 編集: 久保田徹
プロデューサー: 井手麻里子

クレジット

監督 / 撮影 / 編集: 久保田徹
プロデューサー: 井手麻里子
音楽: audionetwork

ドキュメンタリー映像作家

1996年神奈川県生まれ。慶應大学法学部在学中の2014年よりロヒンギャ難民の撮影を開始する。以降、BBC,NHKなどにてディレクター、カメラを担当。社会の辺境に生きる人々、自由を奪われた人々に寄り添いながら静かにカメラを向け続ける。2022年7月にミャンマーにて撮影中に国軍に拘束され、111日間の拘束期間を経て帰国。ミャンマーのジャーナリスト支援するプロジェクト「Docu Athan」を運営している。

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