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【京都市西京区】嵐山の絶景スポット 司馬遼太郎も訪れた角倉了以ゆかりの寺院

くまライター(京都市)

角倉了以(すみのくらりょうい)は安土桃山時代から江戸時代初期にかけて京都で活躍した豪商。大堰川(保津川)や高瀬川などの水路の開発を行い、嵐山や木屋町の風景を作った人物といえます。
嵯峨嵐山の「大悲閣(だいひかく)」は、角倉了以の木像があることで知られています。

ちなみに場所によって「大堰川」といったり「保津川」といったり「桂川」といったりしますが、全部同じ川です。

大悲閣へ行くには、渡月橋を観光の中心である北側へ渡らず、大堰川の南側の道を西に向かって歩いていきます。この道を「大悲閣道」といいます。

司馬遼太郎『街道をゆく26 嵯峨散歩、仙台・石巻』では、この大悲閣道を歩く司馬遼太郎が屋台でおでんを食べる場面がありますが、今も道沿いに屋台が出ていて食欲をそそられます。

さて、大悲閣へは川ぞいをしばらく歩き、わりと険しい石段を登っていきます。

『街道をゆく』では、司馬遼太郎が大悲閣の和尚に渡月橋から大悲閣までどれほどあるかと聞いたところ、和尚が自分の足だと「13分」と答えるのですが、

いや、無理。

かなりの健脚ですね…

大悲閣千光寺

大悲閣は「大悲閣千光寺」という黄檗宗の寺院です。
切り立った岩肌に建つ観音堂を「大悲閣」といい、寺そのものも「大悲閣」と呼ばれています。
明治後の廃仏毀釈で衰退し、現在は本堂は解体され、仮本堂が建てられています。

大悲閣千光寺と角倉了以との関わりは、大堰川を開削する工事で亡くなった人々を弔うために、もとは嵯峨の中院にあった千光寺を了以が現在の場所に移転させたことによります。

大悲閣は2012年に改修工事が行われ、元の姿を取り戻しています。
大悲閣からの眺めは絶景として知られており、比叡山や大文字山、天気がよければ清水寺も見えるそうです。

うーん、スマホではこれが限界か…

角倉了以の木像は、仮本堂にあります。

薄暗くてわかりにくいですが、

なんか怒ってるんか…?

この木造については、『街道をゆく』でもかんしゃくをおこしているような顔つきだと記述されています。

渡月橋から大悲閣までは、人にもよりますが歩いてだいたい20から30分。なかなか険しい石段を登りることになりますが、とても気持ちのいい景色が見られ、登ったかいがありますよ。この景色と怒っているような角倉了以に会いに行ってみてはどうでしょう。

大悲閣千光寺
住所/京都市西京区嵐山中尾下町62
電話/075-861-2913
拝観時間/10:00〜16:00
Webサイトはこちら

ライター(京都市)

大阪生まれの大阪育ち、京都在住のライター・DTPデザイナー・イラストレーターです。京都の情報誌を経てフリーランスになりました。よろしゅうおたのもうします。

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