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神宮前交差点で振り返る原宿ヒストリー。【東京都渋谷区】

Luna Subitowriter editor(東京都渋谷区)

表参道をママチャリで疾走していると、神宮前交差点付近に何やら懐かしいけしきが…!

竹の子族やポニーテールのローラー…なんだかすんごいタイムマシン感!(生で竹の子族を見たことはありませんが…) 実はこれ 神宮前交差点で絶賛工事中の「神宮前六丁目地区再開発ビル(仮称)」の仮囲い。よく見ると、1920年代、1950年代、1960年代、1970年代、1980年代、1990年代、2000年代、2010年代…と年代ごとの原宿カルチャーの歴史が絵巻物のように紹介されています。

各年代のヒストリーを追っていくと、原宿カルチャーのめくるめく変遷が俯瞰できて、とても興味深いです。1920年代からサクッと紹介していきますね。

明治天皇を祀る「明治神宮」が今から約100年前の1920年に創建され、その参道として開通したのが表参道。1924年には木造の旧原宿駅舎が作られ、1927年には今の表参道ヒルズのある辺りに日本初の鉄筋コンクリートのモダンな「同潤会青山アパート」が完成しました。

当時の表参道の写真を見ると 高い建物が皆無。きらきら華やかな 表参道イルミネーションのけしきと比べると、隔世の感があります。参道に当時植えられていたケヤキは東京大空襲でほとんど消失したそうで、今のケヤキ並木は戦後に整えられたものなのだとか。

1945年5月の東大空襲で表参道周辺も焼け野原に。 代々木公園やNHK、LINE CUBE SHIBUYA(旧渋谷公会堂)がある辺りには、終戦翌年にGHQの家族のための集合住宅「ワシントンハイツ」(1946~1964年)がつくられました。当時を知る方に伺うと、戦後の貧しい日本人の目にはワシントンハイツに住む米国人の暮らしが夢のような世界に見えたそうです。

1958年には 今の「東急プラザ表参道原宿」のある場所に米軍関係者用の「原宿セントラルアパート」ができ、目新しい舶来文化に触れやすいことから 文化人やクリエイターが集うように。1964年には代々木公園が選手村になって周辺がますます賑やかになっていきました。

1970年代になると原宿発のデザイナーズブランドが次々に誕生。1978年には「ラフォーレ原宿」が開業し、ファッションの流行発信基地に。30年ほど前には焼け跡野原だった原宿 表参道の凄まじい変貌ぶりに驚かされます。

1970年代は戦後生まれの団塊世代が青春時代を謳歌した時代でもあります
1970年代は戦後生まれの団塊世代が青春時代を謳歌した時代でもあります

セブンスデー・アドベンチスト教団の東京中央教会があった地に建てられた「ラフォーレ原宿」。ラフォーレ(仏語で森の意)の名は運営する森ビルに由来するそう
セブンスデー・アドベンチスト教団の東京中央教会があった地に建てられた「ラフォーレ原宿」。ラフォーレ(仏語で森の意)の名は運営する森ビルに由来するそう

BEAMSが原宿に1号店を開店したのも1970年代でした。以前、BEAMS創業者の設楽洋氏のインタビューをした時、「1976年につくった1号店はわずか6.5坪。当時の店名『アメリカンライフショップ・ビームス』には、アメリカ文化への憧れが根底にあった」と語っていらっしゃったのが印象的でした。BEAMSが40周年記念に制作した傑作MVには、1970年代以降の原宿ファッションヒストリーが、各時代を象徴するアーティストたちの「今夜はブギーバック」のカヴァーに乗せて紹介されており、いつ見ても涙ものです。

1980年代になると、原宿ヒストリーの代名詞のように語られる「竹の子族」と「ローラー族」が登場。余談ながら、数年前に代々木公園の原宿門付近で往年のロックンローラーが集って踊っている光景を通りすがりに目撃したことがありますが、還暦前後と思われるリーゼントのローラーさんたちの往時がしのばれる腰のキレのよさに驚嘆いたしました。

80年代半ばからはバブル&DCブランド全盛期。原宿界隈は「カラス族」と呼ばれた全身黒づくめのハウスマヌカン風の人やYMO風テクノカットの人たちの密集地でもありました。

1990年代の原宿は、表参道や明治通りのような大通りより、キャットストリート(旧渋谷川遊歩道)などの路地裏の通りにスポットが当たった裏原宿ムーブメントの全盛期。「竹の子族」とか「カラス族」とかスタイルがわかりやすく異なる80年代的原宿から、90年代は「〇〇族」とはくくれない、マニアックな古着や知る人ぞ知る尖ったブランドを求める人が増え、どんどんファッションオタク化していった印象です。

原宿とKAWAII文化はまさに相性抜群
原宿とKAWAII文化はまさに相性抜群

2000年代はきゃりーぱみゅぱみゅ的「KAWAII」文化の全盛期。ちょっとエグみのあるものも含めてざっくり「かわいい~」で通用する時代に。コンサバ系の赤文字系雑誌VSキューティ系青文字雑誌という構図も懐かしく。しかしやがて雑誌に向けられていた目はネットに移行…。

2010年代以降はライフスタイルがますます多様化し、トレンドはモノよりコトにシフト。近年は大量消費の時代から、環境に配慮した持続可能なファッションのあり方が問われています。2025年には日本人の3人に1人が65歳以上の超少子高齢化時代がやってきます。若さがきらっきら眩しいこの街のけしきやあり方も刻々と変わっていくのだろうなあ…と。

2023年にはこの仮囲いの向こうに 原宿エリア最大級規模の次世代型商業施設「神宮前六丁目地区再開発ビル(仮称)」がおめみえするよう。建築を「生成する生命活動の一部」と考え 生態学の原理を取り入れている建築家 平田晃久氏が設計するそうなので、注視しています。

懐かしい建物やけしきが消えていくのは淋しいけれど、新しいけしきもいつしかこの街のヒストリーの一頁になっていくのだろうと思います。神宮交差点の仮囲いを眺めながら、いろいろな思いが胸に去来しました。急いでいると スッと通り過ぎてしまいがちだけれど、ちょっとだけ足をとめて原宿のヒストリーを覗いてみてください。「懐かしいなあ!」という人にも、「こんな時代、全然知らな~い」という人にもおすすめです。

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住所:東京都渋谷区神宮前6ー1000
神宮前六丁目地区第一種市街地再開発事業「神宮前六丁目地区再開発ビル(仮称)」

writer editor(東京都渋谷区)

奥渋在住20余年。旅、アート、インテリア、ウエルネス、映画、猫など多様なメディアに携わる文筆家。

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