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ヒマラヤに棲む「天空のトラ」、その謎に迫る映像を独占入手

松原保パワーアイ代表・フィルムメーカー

平地の王者トラが世界で唯一、富士山よりも高い4000mを超える高地に生息している場所がある。中国国境に近いブータン北部、ヒマラヤ山脈にそびえる標高6794mのガンチェンタ(別名グレートタイガーマウンテン)だ。ブータン政府から海外メディアの取材許可が下りなくなった2010年以降、ブータン国営放送と共同制作することで初めて取材許可の内諾を得た。今も謎のベールに包まれた「天空のトラ」に関する貴重な資料映像(標高200mから標高3500m)を入手し、これまで取材した映像と共に1本のドキュメンタリーにまとめ上げた。

タイムカプセルのようなブータン
「山に棲むトラについては知らないことばかり。いつから生息していたのも分からない」。アメリカのモンタナ大学で学び、ブータン唯一のトラ研究者のテンパ博士は、目を輝かせながら語る。
野生のトラの多くが標高の低い平原や沼地を好む中、ブータンのトラだけは標高4000mを超える高地に生息している。こんな場所は地球上でブータンだけだ。現在、標高4600mで発見された足跡が最高地点の公式記録とされている。「体重300キロを超すトラが酸素の薄い高地で暮らすためには、何らかの適応性や遺伝子変化を起こしている可能性がある。このことは地球温暖化とは関係がない」とテンパ博士は語る。なぜ高地に生息しているのか、国を挙げてその解明に乗り出している最中だ。1960年代まで鎖国を続け、近代文明を寄せ付けなかったブータンだけに残った驚異の自然環境がここには存在する。

ブータン政府を激怒させたBBC
高地に棲むトラの姿が世界に初めて紹介されたのは2000年。世界自然保護基金(WWF)調査隊が標高3000mに設置した無人カメラによる写真だ。野生動物の撮影では世界的に有名なイギリスのBBC放送(BBC)がこの情報にいち早く目をつけた。’10年、巨額の制作費をかけ、ブータンに棲む野生トラの謎を追う番組を作り世界に向け放送、大反響を得る。番組制作のためにBBCはブータン人の助けを借り、4000m地点に設置した無人カメラでようやくトラの姿を捉えた。しかし世界が驚く高地に棲むトラの第一発見者はBBCであるとニュース発表したことで、ブータン政府が激怒。BBCも追加取材の許可を願い出るも、海外メディアに許可は下りなくなった。’13年の初訪問以来、私は粘り強く交渉を続け、ブータン国営放送と共同制作することで取材許可の内諾を’15年2月に得られた。

暗礁に乗り上げる「天空のトラ」企画
2014年から日本や海外の放送局へ企画を売り込み続けるが、どの放送局も通常でも困難なトラの撮影に二の足を踏む。過去の例から野生トラ撮影にはリスクと莫大な費用がかかることを知っているからだ。担当者の「まだリサーチが足りない」その言葉に何度も心が折れかけた。クラウドファンディングや国の助成金等を活用し、なんとか取材を続けた。通常ブータンでの滞在は1日につき約3万円の公定料金を旅行会社に支払わなければならない。料金にはホテル、食事、移動手段、ガイドが含まれるが、格安旅行はできない仕組みになっている。舗装されていない道が多く、200キロ先の町への移動するにも車で6時間以上もかかる。インド国境の亜熱帯ジャングルから、中国国境に近い辺境の村まで、トラ情報を探し求めた。最終的に4度の渡航で、リサーチ取材費が600万円を超える痛い出費となった。

野生トラ捕獲の知らせがついに舞い込む
国が貧しいため、野生動物の研究は世界から立ち遅れたブータン。テンパ博士は研究費の調達に苦労しながらも2014年から、野生トラの捕獲調査を開始した。計画ではGPS発信器の首輪をつけ、個体を追跡調査する。しかし生け捕りは失敗続き、計画は難航していた。その間、2000台以上の無人センサーカメラを国内の森に設置し、何処に何頭のトラがいるかを調査してきた。テンパ博士はアメリカ留学で生物学の博士号を取得し、捕獲手段の改良も続けてきた。捕獲開始から3年以上も経過した’18年2月、インドに近いロイヤルマナス国立公園内でついに野生トラの生け捕りに成功。年間200日以上も山の中で生活をしてきたテンパ博士とチームは、トラの姿を間近に見た時、涙を流したという。本来、野生動物の殺生も捕獲も許されないブータンでは、初の快挙に大いに驚いた。捕獲されたトラは体重120キロの小さな雌トラ。血液や体毛など研究に必要なサンプル採取したのち、GPS発信器を付けリリースされた。これ以後、運が向いたテンパ博士は、2500mの山岳地帯で2匹目を、昨年12月には3匹目となる体重350キロを超す雄トラも捕獲し、追跡調査を続けている。

絶滅の危機にひんするアジアのトラ
100年前、10万頭いた野生トラは4000頭に激減した。インドなどアジアの貧しい諸国にだけ生息するトラは、人間の生活域の拡大にともない住処をどんどん追われている。今やトラは絶滅危惧種のシンボルともいえる存在になった。
一方、幸運なことにブータン国内ではトラは増えている。最新の調査では104頭の生息が確認された。しかし、絶滅の危機を脱したとはいえず、「長期間にわたる調査はこのトラを保護するために必要」(テンパ博士)な状況だ。
テンパ博士の調査は今年5月から、標高4000m付近でトラを捕獲するステージに突入する。「もし人類がトラを調査し、保護しなければ10年後、20年後にはトラは絶滅するかもしれません」と警鐘を鳴らし、こう訴えた。「トラが生き残れるように助けていく。次の10年や20年、30年ではなく、何百年にも渡って守り続けたい」と。

クレジット

企画・撮影・編集 / 松原 保
コーディネーター / ソナム・ドルジ
資料提供 / テンパ博士, Global Tiger Center

パワーアイ代表・フィルムメーカー

大阪を拠点とするプロダクション・パワーアイの代表。日本人として初めてヒストリーチャンネル(アジア)やブータン国営放送と国際共同制作を成し遂げた実績を持つ。2017年劇場公開した初監督作品「被ばく牛と生きる」は原発事故後の福島を描いたドキュメンタリーとして国内外で_く評価され、平和・協同ジャーナリスト基金賞を始め、多くの賞を獲得した。

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