Yahoo!ニュース

広島の街に残る被曝遺産を自転車で巡る「ピースツアー」に参加してみた

南森エレナカフェ・旅ライター/スイーツコンシェルジュ

こんにちは、南森エレナです。広島といえば忘れてはいけないのが、1945年8月6日に広島の平和記念公園に原子爆弾が投下され、広島の街は戦史に残る大変な被害を受けたこと。今年の夏で77年が経つ現在でも、毎年テレビやメディアで取り上げられていますが、改めて広島の原爆はどんなものだったのか?

広島では、広島の街に残る被曝遺産を自転車で巡り、基本的なことを振り返りながら平和を学ぶ「ピースツアー」が実施されています。今回は、地元ガイドが開催する「ピースツアー」に参加してみました。

広島のど真ん中にある平和記念公園からスタート

「ピースツアー」は、電動自転車に乗り、広島の街に残る被爆遺産や平和への復興ストーリーを巡るサイクリングガイドツアーです。広島に住むフレンドリーなガイドチームがナビゲーターとして案内します。

広島市内には平和記念公園のほか、郊外に多数の被ばく遺産が存在し、それら1つ1つにストーリーがあります。真っ青な空の下に佇んでいると、あの痛ましい過去があるとは想像もつきません。戦後70年以上経ち、力強く復興し緑豊かになった現在の姿も、実際に現地へ行き自身の目で見ることで感じるには、サイクリングは最適な方法なのです。

さて、自転車に乗ってサイクリングする前に、平和記念公園が元々どのような場所だったのか。慰霊碑や原爆ドームなどに込められた思いと約70年前この場所で何があったのかを地元ガイドが説明します。

原爆ドーム

原爆ドーム(旧:広島県物産陳列館)
原爆ドーム(旧:広島県物産陳列館)

「原爆ドーム」は、第2次世界大戦末期に人類史上初めて使用された核兵器により被爆した建物。原爆ドームの前身である「広島県物産陳列館」は、爆心地から約160メートルの至近距離で被爆し、爆風と熱線を浴びて大破。天井から火を吹いて全焼しました。

建物の2階と3階のほとんどの壁は被爆により崩れ落ちましたが、「原爆ドーム」は被爆した当時の姿のままであり続けることに価値があることから、現状をできるだけ変えないように保存工事が行われたのが現在の「原爆ドーム」の姿です。

原爆死没者慰霊碑

原爆死没者慰霊碑
原爆死没者慰霊碑

被爆して焼け野原になった広島平和記念公園をデザインしたのは、建築家・丹下健三さん。埴輪の家型に設計された「原爆死没者慰霊碑」から原爆ドームが一望できるのも、偶然ではなく丹下氏による思想によるもの。

原爆ドーム、平和の灯、原爆死没者慰霊碑、広島平和記念資料館、祈りの泉(噴水)、嵐の中の母子像が一つのラインに繋がっている「平和の軸線」は、現在も新しい軸線が続いて後世に生きる方々がバトンを繋いでいるといわれています。

例えば、原爆ドームの後方にある「広島グリーンアリーナ」。また、「広島市環境局中工場(清掃工場)」は、平和大通りを東西の軸線として直交するように南北の軸線上に配置されており、平和の軸線を意識した線形になっています。

このように「平和の軸線」を延ばして、想いを繋いでいきながら今の広島が出来上がっていっているのです。

いよいよ自転車で出発!

平和記念公園や慰霊碑、原爆ドームなどに込められた思いを十分聞いた後は、広島の街を自転車で散策しながら、被曝遺産の場所へ向かいます。

広島赤十字・原爆病院メモリアルパークへ

最初に訪れたのが、爆心地(島病院)から1.5キロ離れた場所にある「広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク」

敷地内には、原爆投下前にあった当時の「広島赤十字病院」の旧館3階北端の爆風でゆがんだ鉄製の窓枠と建物の一部。原爆投下により看護学校宿舎など木造施設は全壊・全焼しましたが、本館、中央病棟、北病棟の鉄筋コンクリートの外郭だけが残りました。

その後、2013年の病院の改築に伴い、広島市の被爆建物保存事業の第1号として「広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク」の敷地内にモニュメントとして保存されることになりました。

北側の歪んだ窓枠
北側の歪んだ窓枠

原爆の炸裂による強烈な爆風が吹き抜けたため、爆心地側の窓枠は内側にめり込むように歪んでいます。

西側の窓枠は、外側にに押し出されるような形で大きくわん曲。これだけでもどれだけの爆風が吹き抜けたのかを実感することができます。

窓ガラスの破片が突き刺さった痕が残る壁
窓ガラスの破片が突き刺さった痕が残る壁

旧1号館階段室の窓ガラスも、原子爆弾一斉の炸裂による強烈な爆風によって破砕し、飛散し1階から屋上までの壁に突き刺さり、無数の傷跡を残しました。被爆の惨禍を後世に伝えていくために、「広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク」に移設して保管してあります。

わずか3日後、再び動き出した路面電車

被爆電車(No.652)
被爆電車(No.652)

こちらは爆心地から半径2.3キロ圏内にある「広島電鉄本社前」。当時勤務されていた多くの方も被爆され、社屋もボロボロになってしまいました。普段街中を当たり前のように走っていた路面電車も焼け焦げてしまいました。

しかし、路面電車が再び動き出したのは、わずか3日後。廃墟となった静寂な街中は日常生活の音さえも失われてしまいました。そこで「広島電鉄」は、家や家族を亡くして生き残った方々の心を前に向かせるために、“チンチン”と警笛を鳴らしながら路面電車を走らせました。日常生活である音を届けるために・・・。

当時の被爆電車(No.651・652)は、現在でも元気に走っています!もし出会ったら、ぜひ乗ってみてください。

最終地点:平和大通り

広島市医師会原爆殉職碑(祈りの手)
広島市医師会原爆殉職碑(祈りの手)

最後は、平和記念公園の南側に位置する「平和大通り」にやってきました。こちらには、多くの慰霊碑がありますが、その中でも一番大きいのが「広島市医師会原爆殉職碑(祈りの手)」です。

原爆投下時に働いていた多くの医師や看護師が被ばくしたのを受け、医療従事者の苦難と平和への願いを受け継ぐため、1960年に建立。祈りをささげるように両手を重なり合わせたデザインになっています。

コンクリート製で高さ12メートルと慰霊碑の中では一番高く目立つ存在なのですが、近年では周りに植えられた木々の成長で慰霊碑が隠されてしまう事態も。かつてのものを忘れないように建てる慰霊碑を覆い隠すほど、広島の街は成長しているということでしょうか。

広島の街はどんどん成長している

株式会社mint 石飛聡司さん
株式会社mint 石飛聡司さん

「ピースツアー」には、2時間コースと3時間コースがあり、今回は2時間コースに参加しました。案内してくださったのは、株式会社mintの石飛聡司さん。

「一度失ってしまった広島の街は、平和大通りの木のように年々成長し続けています。日々辛いことがあったとしても、それを隠せるくらい幸せで楽しいこともあります。今日からでも一歩踏み出せるいい一日になればと願います。」とメッセージをくださいました。

「ピースツアー」に参加して、この街で育った地元スタッフと一緒に、写真や本だけでは知ることができない本当の広島をぜひ体感してみてくださいね。

【ピースツアー概要】
sokoik! サイクリングツアー ~Roots of Hiroshima~ スタンダード
体験時間: 2時間/1人当たり
料金:5000円
集合場所:平和記念公園レストハウス(広島県広島市中区中島町1丁目1)
アクセス:広島駅から広島電鉄電車 「原爆ドーム前」または「本通り」下車徒歩3分
言語対応: 日本語、英語
含まれている物 :レンタルサイクル料、ガイド料、自転車保険料
参加者条件 : ①大人用自転車(電動):身長145cm以上
       ②子供を乗せるシート付の自転車(電動):同乗する子供は無料。
       ③こども用自転車(クロスバイクタイプ):通常の自転車走行ができるお子様用自転車(身長110cm~145cm)は2台まで利用可能。
        小学生以下は子ども用自転車・大人用自転車のどちらも子ども料金で利用可能。
        ※②、③は数に限りあり。
行程:広島市平和記念公園レストハウス~元安橋~平和記念公園~広島平和都市記念碑~広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク~東千田公園~広電本社~平和記念公園
ピースツアー予約ページ(外部リンク)
ひろしま公式観光サイト「Dive! Hiroshima」(外部リンク)
取材協力:広島県、株式会社mint

カフェ・旅ライター/スイーツコンシェルジュ

東京都在住・愛知県出身。カフェやスイーツ、旅をテーマに雑誌やWebメディアで記事を執筆しているライターです。企画からアポイント、インタビュー、撮影、執筆を行っており、年間通して約200件以上の取材をしています。取材テーマは、カフェ、スイーツ全般。個人飲食店、外食チェーン店、新商品レビュー、地方自治体を含む観光など。大手旅行会社に勤務していた影響で、国内外問わずふらりと旅へ。新しいご当地グルメを発掘するのを楽しみに旅を続けています。日本スイーツ協会 スイーツコンシェルジュ資格所持者。

南森エレナの最近の記事