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故郷で産みたい、でも母国は国境閉鎖ーーサハラ砂漠出身の店主が、出産する妻を電話で励まし臨む再開店

梛木泰西チーフプロデューサー

2年あまりのコロナ禍で、数多くの飲食店が営業の自粛や時短を迫られ、大きな痛手を負った。東京・飯田橋 で北アフリカや中東の料理をふるまう「アラビアンカフェ・ジジ」もそのひとつ。客足が途絶えての閉店、新オーナーのもとでの再開、そして緊急事態宣言による10カ月の休業。営業再開後も客足が戻らぬ店を盛り上げたのが、店主ハミ・ワアリブーさん(41 )が奏でるアフリカの民族打楽器「ジャンベ」のリズムだった。休業による苦境の中、慣れない異国で日本語が話せぬ妻の初出産もサポートしたハミさんの奮闘の日々を追った。

【再開店したものの集客に苦戦】
2021年12月1日。緊急事態宣言も、まん延防止等重点措置も解除され、10カ月の休業をへて、アラビアンカフェ・ジジは再び開店した。
ディナータイムを前に、店長のハミさんはこう話した。「コロナ前は予約でいっぱいだった。通りを歩いている人は、満席で入れなかった。今日の予約客は4人だけ。ニュースでコロナのことをやっているから、まだ通りを歩いている人が少ない」
オーナーの藤澤甲斐(通称ジジ)さんは不安げだ。「もう開けるしかないと思って開けるんですけど、実際はすごく怖いですよ。開いたけど誰も来ないとか、赤字が増えていくのをジワジワと感じていくのは、すごく怖いですよ」
2人連れの予約客が2組やってきた。看板メニュー「タジン鍋」が注文される。ハミさんの故郷サハラ砂漠の伝統的な家庭料理。貴重な水は使わずに、野菜の水分だけで煮込む無水鍋だ。
ハミさんはモロッコ出身。もともとはサハラ砂漠に暮らすベルベル人だ。中学に入るまでは、ラクダを使って羊を遊牧しながらテントで暮らす遊牧民だった。その時に母親に教わった料理が、店の看板メニューになっている。
「タジン鍋」と「クスクス」。「クスクス」は世界最小のパスタと言われる小麦粉の料理。スパイシーなスープで煮込む。
モロッコの家庭料理に使われる44種類のスパイスをまぜあわせた「ミックス・スパイス」も、故郷の母が手作りし、時々送ってくれる。この店の料理は、野菜たっぷりでスパイスが効いていて美味しいと好評だ。

【厨房もホールも担うハミさん】
店は、ハミさんとジジさんの2人で営業している。 ハミさんは、午前9時半に出勤して料理の仕込みを始める。厨房での調理とホールでの配膳もハミさんの仕事だ。ランチタイムが終わる午後3時から6時までは休憩時間。店から歩いて15分のマンションに暮らすハミさんにとっては、家族と過ごせる貴重なひとときだ。ただ、週に1、2回は、この時間を使って都内の外国食材専門店に買い出しに行かなければならない。11時までのディナータイムの後、片付けをすませて帰宅するのは午前零時ごろ。家族はすでに眠りについている。
ハミさんは2005年、電機メーカーのエンジニアとしてモロッコから来日した。しかし、上下関係が厳しい日本のサラリーマン社会には馴染めなかった。2010年、友人の紹介で「ジジ」の前身のモロッコ料理店「タジンや」で働き始めた。モロッコで観光ガイドをしていたこともあったので、仕事にはすぐになじめた。母に教わった家庭料理を出し、中学生の頃から演奏していたジャンベで週2回のイベントができるのもうれしかった。「ジャンベをたたくと、故郷の風景を思い出す」のだという。
2016年、弟の結婚式で帰国したとき、パーティーで妻アイシャさん(30)と出会った。一目で気に入った。2019年、店の近くに家を買い、モロッコからアイシャさんを迎えた。アイシャさんは、アラビア語とフランス語しか話せない。
2020年、妊娠がわかり幸せいっぱいのさなか、コロナ禍が世界を襲った。出産予定は7月。アイシャさんは日本語が話せず、モロッコで出産するつもりだった。砂漠のテントで7人の子を産んだハミさんの母も「私に任せなさい」と張り切っていた。ところが帰国直前の3月15日、モロッコ政府は突然ロックダウンに踏み切った。国際線の離着陸を禁止し、国内でも職場からの証明書がなければ外出は禁止。買い物も、一家で1人、1日1回だけ。スーパーに入るにも身分証などの提示が必要なため、外に一切出られなかった人がたくさんいた。

故郷での出産を望んでいたアイシャさんは、母国の国境閉鎖に大きな衝撃を受けた。日本で出産するしかなくなった。ハミさんは、受け入れてくれる病院をネットなどで必死に探した。なんとか病院は見つかったものの、フランス語もアラビア語も話せるスタッフがいない。ハミさんが、通訳するしかなかった。店と病院を何度も往復する毎日が続いた。陣痛は予定より1週間早くやってきた。しかし、赤ちゃんがなかなか出てこない。医師は帝王切開することを決めたが、そのときはコロナ禍で面会は禁止になっていた。ハミさんは電話を通じて必死で通訳した。

無事に生まれた娘には、あや(aya)と名付けた。モロッコにもある名前で、「幸せ」という意味だ。産後の1週間、アイシャさんは1人で言葉の通じない病院にいるストレスで不眠や食欲不振になったというが、夫婦は「幸せ」をかみしめた。

【在日外国人を襲ったコロナ禍の苦境】
家族3人、日本で暮らしていこうと思った矢先の8月末、「タジンや」の閉店と、仲間のモロッコ人スタッフの帰国が決まった。家を買っていたハミさん は、東京に残って仕事を続けたかった。閉店の予定は11月。ハミさんはそれまでにツテを頼り、いろいろな仕事を検討した。ソーラー・パネルやエンジンをモロッコで販売することも考えたが、すんでのところでうまくいかなかった。3人で東京で暮らしたい。だが、仕事が決まらない。ハミさんはどんどん追い詰められていった。「タジンやが閉店したときはすごく大変で、休みたかった。死にそうだった。あの頃には戻りたくない。それを考えるだけでつらい」とハミさんは振り返る。

ハミさんに限らず、コロナ禍は多くの在日外国人を苦しめた。国境封鎖で帰国できなくなったり、仕事を大幅に減らされたりした人が続出した。民間団体による支援もあったが、恩恵にあずかれたのはごく一部。ギリギリの暮らしを強いられた人が多かった。
そうした中、ハミさんに救いの手を差し伸べてくれたのは、10年来の友人ジジさんだった。「ハミが残ってくれるのなら、私がやるわ」と、新しいオーナーになることを引き受けてくれた。2020年12月、同じ店舗で「アラビアンカフェ ・ジジ!」がオープンすることになった。

【得意のジャンベで客を呼び戻す】
ところが新しい店の開店から間もなく、コロナ禍は再び急拡大。2021年1月8日には2回目の緊急事態宣言が出された。「ジジ」 は、1カ月もしないうちに、休業を余儀なくされた。

それから10カ月あまり。ようやく営業を 再開した「ジジ」は、客を呼び戻すイベントを2022年の年明けに行うことを決めた。このときは緊急事態宣言も、まん延防止等重点措置も出ていなかった。だが、年明けの三が日に店の近くでクラスターが発生。商店街の人通りは10分の1に減った。
「ジャンベのイベントは、お客さんが入ればすごく盛り上がる。お客さんを集めるなら、いつになるか分からないけど延期するしかない」。苦渋の決断だったが、間もなくまん延防止等重点措置が発令され、イベントは完全に中止となった。

【改装でピンチをチャンスに】
ジジさんは、まん延防止等重点措置で営業できない期間をチャンスに変えようと考えていた。この期間中に店をリニューアルする。イベントをするときに使い勝手がいいよう、客席のレイアウトを長方形から正方形に変更する。100万円以上の投資だった。
ジジさんは言う。「もう食事を出すだけでは生き残れないないんじゃないかと思ったので、食事以外のプラスアルファでイベントとか、違う使い方もできるように形を作っておいた方が活用しやすいと思って。進むか止まるかと考えたときに、止まるという選択肢はなかったので、やるしかないと思った」。資金回収には数年かかるだろうと踏んでいる。それでも前を向いて進む。

一方、ハミさんは「タジンや」時代に壊れたジャンベを、イベントに向け修理に出した。東京・町屋の東京ジャンベ・ファクトリーは、西アフリカからヤギの皮を輸入し、ジャンベの製作、修理をしている。店主・加藤琢巳さん は言う。「日本のヤギとか他の国のヤギとか使ってみたけど、音が違うんですよね。食べ物とか環境とか油とかが、違うんだと思う」
破れてしまったハミさんのジャンベの皮が、本場のヤギの皮で見事に修復された。「すごくいい」。ハミさんは満足げだ。

【イベントで満席に】
6月3日、イベントの当日。正方形にリニューアルされた25の客席はすべて埋まった。「コロナになってから初めてのイベント。満席になったのはすごくいい」。ハミさんにとっては、実に1年半ぶりのイベントだ。演奏する前からうれしくて仕方がない様子だ。

料理が次々と運ばれてくる。モロッカンサラダ、チキンケバブー、タジン、クスクス。そして、いよいよハミさんたちの出番だ。ジャンベはハミさんと、同郷の幼なじみヨセフさんがたたく。モロッコ関連のイベントで知り合ったザカリヤさんが、カスタネットで合わせる。トリオでの演奏だ。
正方形の客席からは、どの客も3人の表情をしっかり見ることができる。
演奏が始まった。2台のジャンベが掛け合い、カスタネットが合いの手を入れる。即興で歌も入ってくる。会場の手拍子も重なって、どんどん熱気が高まっていく。演奏は大成功。客は大満足だった。
「本当にやれてよかったです。お客さんが喜んでくれてうれしかったです。これがスタート。これからもっと頑張ります」とハミさん。

アラビアンカフェ・ジジ!は、今日も営業している 。

クレジット
監督・プロデューサー   梛木泰西
撮影・編集        中村朱里
[協力]
アラビアンカフェ・ジジ!

受賞歴

「世界ウルルン滞在記」 橋田壽賀子賞
            グッドデザイン賞
「情熱大陸 ラジオパーソナリティ 小島慶子」ギャラクシー 奨励賞
「最後の講義 小児外科医 吉岡秀人」 ATP 奨励賞  他

チーフプロデューサー

1985年テレビマンユニオンに参加。「世界ふしぎ発見!」「地球ZIGZAG」「世界ウルルン滞在記」など数々のTV番組を演出・プロデュース。現在「情熱大陸」「NHKスペシャル」「ザ・ノンフィクション」「ドキュメンタリーWAVE]などのドキュメンタリー番組を手がけている。