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 「もう限界」コロナ禍の失業で生活困窮者からSOS急増  支援団体「福祉崩壊」の声も

中川あゆみドキュメンタリー映像作家

 コロナ禍で、生活に困窮する人たちから支援団体へのSOSが急増している。派遣や日雇い労働で食い扶持をつなぎ、ネットカフェなどで寝泊まりしていた人たちが、新型コロナウイルス感染症流行の影響でさらなる貧困に陥っているのだ。しかし支援の現場では手が足らず、「福祉崩壊」を訴える声も少なくない。25日に首都圏などでも緊急事態宣言が解除されたものの、支援者は「困窮者への緊急支援が必要な状況は1年以上続く」とみている。いま貧困の現場で、何が起きているのか。SOSを発信した当事者を取材し、支援者の活動に密着した。

■緊急事態宣言下で届いた“SOS” 「親も友達も頼れない」■
「助けてください」。4月下旬のある夜、生活困窮者支援団体の相談フォームにSOSが届いた。翌日、大雨のもと支援スタッフや地元の議員6人が千葉のある「道の駅」に駆けつけると、待っていたのは40代前半の男性。所持金は150円だった。「まだ40代なのに、支援を受けるなんて恥ずかしくて、ギリギリまで頑張ろうと思った」「自分みたいな人間でも、本当に支援してくれるのか、こわかった」謙虚な話し方をする人だった。支援者が予約したビジネスホテルに落ち着いた男性は「ふとんで寝るのは、半年ぶりです」とほっとしていた。「親も友達も頼れない」と言い、好きなアイドルの動画を見るのが、いちばん心安らぐ時なのだと、スマホの待ち受け画面を筆者に見せてくれた。「いつも笑っているから、見ていると元気が出る」と。

■派遣や日雇いの日々 コロナ禍で仕事激減「もう限界」■
 男性は東北生まれで、子供の頃から裕福ではなかった。各地を転々としながら、父と二人暮らし。やがてその父とも関係が悪化した。東日本大震災で仕事を失ったが、行きついた千葉の海辺の町でようやく仕事を見つけ、一人で暮らしていた。しかし雇い主とのトラブルで仕事を辞め、家賃が払えなくなり、2019年秋から車上生活が始まった。体にいくつもホカロンを貼り、毛布にくるまって寝た。寒さに耐えられない日はネットカフェに泊まった。 昨秋からは工場での食品加工、引越しなどの派遣や日雇いで収入を得ていた。そんな中、国内で新型コロナウイルス感染症が拡大。何日も同じマスクを使い回すなど、十分な対策が出来ない中で感染の不安を抱えてきた。「人と接することも少ない中、一向に仕事がなく、所持金が減って行く不安の方が、感染への不安より大きかった」。他方、4月7日の緊急事態宣言発令後に仕事が激減。ネットカフェも営業を自粛するところが増えたが、仮に開いていても泊まるお金もなくなった。「明日も仕事がなく、ガソリンも底をついた。所持金もまもなくゼロになる。もう限界だと思った」。コンビニのフリーWiFiから携帯電話で支援団体のサイトにアクセスし、相談フォームにSOSを書き込んだ――。
 週末にビジネスホテルで体を休め、月曜日に地元の支援者が役所に同行。生活保護申請をし、無料の個室アパートに滞在しながらまず部屋を探すことになった。今後は仕事を探し、生活を建て直すつもりだ。男性は「料理が好きなので、飲食関係の仕事がしたい」と言った。少しずつ前向きな気持ちを抱き始めている。

■相次ぐSOSにひっ迫する現場 「福祉崩壊」を訴える声も■
 真面目に働く意欲のある30〜40代が住まいを失い、路上に追いやられる。そうした動きがコロナ禍の影響で急速に広がり、支援団体へのSOSが急増している。34の支援団体が連携する「新型コロナウイルス災害緊急アクション」の事務局長、瀬戸大作さんはほぼ毎日、SOSを発する人の元に駆けつけ、その日の宿泊場所を確保するなどしている。SOSの発信源は東京都内だけでなく埼玉、千葉、栃木、神奈川、静岡に及び、車を飛ばして行っても本人が現れず、会えずに帰ってくることもあった。SOSを発する中には何日も食べていない人も珍しくなく、所持金はほとんどの人が数百円。昼の間に泊まる場所や仕事を探そうとし、夜になってどうにもならずSOSを送ってくることが多い。自殺をほのめかす人もいる。助けを求めてくるのは当初、多くが20〜40代の男性だったという。5月上旬は1日3件のSOSに対処することも珍しくない状態が続いた。現在も、終日対応に追われる日が休みなく続いている。
 宿代や食費は「新型コロナウイルス災害緊急アクション」への寄付金からなる「緊急ささえあい基金」から給付する。3月24日に「新型コロナウイルス災害緊急アクション」を設立してから5月24日までの間に、約210件のSOSに対処し、緊急の宿泊費、食費などに基金から計520万円を給付した。
 日を重ねるごとに助けを求める連絡は増え続け、現場はひっ迫してきている。それぞれの当事者を支援団体につないだり相談役を確保したりするため、人との接触も増え、誰もが感染リスクにもさらされている。支援が追い付かず、「福祉崩壊」を訴える声が現場で上がり始めている。
 それでもSOSが入れば、夜中でも当事者の元に駆けつける瀬戸さん。原発避難者支援団体「避難の協同センター」の事務局長も務め、2017年には原発事故後福島から首都圏に避難していた50代女性を支援していたが、公的支援が打ち切られ、女性が自らの命を絶ってしまったことがあった。「SOSへの対応を次の日に回すと、死んでしまうかもしれない」。だから支援の手を緩めることはできない。

■支援の利用に「たらい回し」対応も 自らを責める当事者■
 緊急事態宣言発令前日の4月6日、東京都は「失業などで住まいを失った人への支援に12億円を計上した」と発表した。ビジネスホテルなどの緊急一時宿泊場所100室、一時利用住宅500室を用意するというものだ。5月20日時点で、のべ997人が都の用意したビジネスホテルを利用している。
 しかし、実際に利用しようとした支援者によると、4月下旬時点では受付窓口が公表されていなかったため、ビジネスホテルの提供を受けるまで、区市役所など複数の窓口を回らねばならなかったという。手続きには支援窓口の職員、当事者、支援者が、感染リスクもある中、長い場合は4時間以上も個室にこもって、面談や書類作成をしなければならなかった。窓口で申請ができず混乱する当事者もいたという(現在では困窮状況によって受付窓口が異なる点が広報されている)。
 千葉の「道の駅」で救済された男性は、「政治のことはよくわからない」と言う。車上生活になりSOSを発するに至ったのは「自分の責任でしょうね」とも話した。
 コロナ禍がセーフティネットの脆弱さをあぶり出す半面、困窮する当事者は「住まいを失う」という極限状態に陥っても、それを「自己責任」だと言う。取材時、瀬戸さんがぽつりとこぼした。「貧困というのは、優しくない社会の結果だよね」。

■発信者の幅広がるSOS 宣言解除後も予断許さぬ貧困の現場■
 緊急事態宣言の解除に伴い、ネットカフェへの休業要請が終了すれば、居場所を失った人たちが滞在しているビジネスホテル提供も終了するとみられている。瀬戸さんら支援者は、彼らが再び路上に戻る前に、アパート入居へつなげるという次なる課題にも直面している。
 他方、ネットカフェ難民の人たちから増え始めた「新型コロナ災害緊急アクション」へのSOSは、さらに発信者の幅が広がりつつある。徐々に増えているのは「今はまだ民間のアパートやマンションなどの賃貸住宅に暮らしているが、家賃が払えなくて困っている」という相談だ。瀬戸さんは「非常事態の今、災害救助法に基づき、公営住宅や借り上げ住宅などを無料で困窮者に提供すべきだ」と言う。
住居確保給付金の支給期間延長、上限額の撤廃など、中所得者層以上にも対象を広げた支援が求められている。
 同時に急増している相談は、外国人からのものだ。5月に入って、1日で80件のSOSが入ったこともあり、家族で困窮しているケースも多い。4月下旬、法務省は入管に収容されている外国人を、感染防止目的で積極的に仮放免する方針を発表。仮放免された人は、劣悪な収容生活から解放されたものの多くが困窮に陥っている。所持金が尽きて行き場のないウガンダ人、幼な子と教会に身を寄せる韓国人、入管収容が4年近くに及び心身を病んでいるイラン人……。在留資格のない人には生活保護申請の選択肢もなく、先が見えない。

 鳴り止まないSOSへの対応に追われる支援者の現場は、マンパワーの不足や多言語対応が求められるなど、今後さらに切迫していく可能性がある。瀬戸さんは言う。「緊急支援が必要な状態は、1年以上続くことを覚悟している。この国が自己責任社会でずっとやってきたツケだよね。危惧しているのは、政府が“この層については、切り捨ててもいい”という姿勢になることだ。政策を変えるしかない」と。

クレジット

監督  中川あゆみ
共同監督・撮影・編集  松井至
アシスタント 桑原豊
ミキサー 富永憲一(NEO P&T)
協力 内山直樹
プロデューサー 平野まゆ

ドキュメンタリー映像作家

社会の周縁に暮らすマイノリティの生き様やアートを主な関心事に製作。中国の移動養蜂家、バルカン半島を旅するロマの家族楽団、脱北1.5世の子供たちなどを取材。日本の性的少数者1000人のカミングアウトを追った「Portraits of the Rainbow」(2017)は、ATP奨励賞受賞、8カ国で上映。自主上映作品に福島からの母子避難者を追った「ふたつの故郷を生きる」(2017)がある。