Yahoo!ニュース

亡き師匠から引き継ぐその想いーー33歳で借金を背負いビール天国静岡で「クラフトビール」に賭ける訳とは

中島響静岡のドキュメンタリー映像制作

このところ人気が高まっているクラフトビール。その不思議な力に魅せられた福山康大さん(33)は、会社員やフリーの醸造家のキャリアをへて、2020年末に「静岡醸造株式会社」を設立した。若くして大きな借金を背負ってまでビールづくりに乗り出した福山さんの願いは、「ビールを通じて日本社会をもっとゆるくしたい」。その挑戦の原動力は、いまは亡き師匠が残した言葉だった。

◯静岡の豊かな食文化を生かして

2022年4月14日。静岡醸造を設立してから1年4カ月、待ちに待っていたビールの仕込み設備がアメリカから到着した。予定の場所に設置されるのを見届けた福山さんの口から、「やっと」という言葉がこぼれ落ちた。大学を卒業してから10年。自らの手でと願い続けた「「クラフトビール」づくりへの第一歩を踏み出した瞬間だった。

静岡市の中心街から車を15分ほど走らせた郊外にある「駿府の工房匠宿」。伝統工芸とモダン文化が共存するその一角に、静岡醸造の工場はある。国土交通省の「水質が最も良好な河川」のひとつに選ばれたことがある安倍川が流れる静岡市は、クラフトビールを醸造するブルワリーやビアバーが全国的にも多く存在するといわれる「ビール天国」だ。

福山さんが仲間たちと設立した静岡醸造がめざすのは、「静岡の豊かな食文化をより楽しめる日本的なビールを作る」ことだ。ビール以上に「そのビールが飲まれる場」を愛するという福山さんは、味だけでなく、場の雰囲気や見た目も華やかになるよう心掛けている。

静岡には駿河湾で取れるマグロやカツオなどの海産物や、山林で捕れるジビエなど、魅力的な食文化がある。それらをさらに引き立てるよう、ビールの副原料に麹(こうじ)やユズを使うなどの工夫をこらしている。

ビールが飲まれる場の空気を大事にする姿勢は、商品名にも表れている。IPA(インディア・ペール・エール)というホップが香るフルーティなビールには「Go!姫君!」と名付けた。桃やアプリコットを原料に使うことで「姫君のコロン」のような香りを楽しめるビールになっていて、酒の場を盛り上げたいという福山さんの思いが込められている。

◯30年で「地ビール」から進化

日本でのクラフトビールの発祥は、30年近く前にさかのぼる。1994年4月の酒税法改正による規制緩和で、小規模醸造所でもビール生産が可能になった。それ以降、観光地を中心に「地ビール」ブームが起こり、一時は大手ビールメーカーによる「発泡酒」の台頭により陰りを見せるものの、家飲み需要の増加はあり今はその人気も盛り返しを見せ、21年12月時点では全国で500以上のブルワリーが存在するまでに成長している。

近年のクラフトビールは、麦芽やホップ、水以外の副原料に地元の産物を使うケースが増えている。地元で採れたホップやフルーツを原材料として使うことで、大手ビールメーカーのスッキリした喉ごしのよい、いわゆるラガースタイルとは差別化が図られ、消費者にとっても地元の食材を楽しむ喜びが生まれる。いわば「地域密着型」のビールであり、福山さんもそれをめざしている。

大手ビールメーカーの醸造家であり研究部門を統括する人物は言う。ビールの醸造家とは、「原料から自らの責任を持って選ぶ、その目とそれを活かし、より良いものをつくる技術の両方が必要。さらにはお客様が口に含み、飲むところまでの責任を取らなければいけない」と。幅広く深い知識と、繊細かつ高度な技術を求められる職業なのだ。

◯尊敬する師匠との 出会い と 突然の別れ

福山さんとクラフトビールとの出会いは、学生時代にまでさかのぼる。静岡市内のビアバーで飲んだクラフトビール「ライジングサンペールエール」に衝撃を受けた。「自分もこんなビールをつくってみたい」。そんな純粋な気持ちでクラフトビールづくりの世界の門を叩いた。

大学を出て就職したのは、初めて飲んで感動したビールの製造元だった「ベアードブルーイング(ベアードビール)」だ。ここで、後にビール人生の師匠と仰ぐ田口昇平さんに出会う。師匠から言われる言葉は「お前は薄っぺらい」だとか厳しいものばかりであったがその全ては熱いものであった。良いところは良い、悪いところは悪い。そのストレートな姿勢に、福山さんは信頼を寄せるようになっていった。
タップルーム(同社のビールを楽しめるバーのような空間)でサービスする1年間の見習い期間の中で、田口さんをはじめとする醸造家たちがビールを本気で楽しむ姿を目の当たりにし、いつしかこんな風にビールをつくりたいと願うようになった。

その後、いったんビールの世界を離れたが、やはり師匠である田口さんとビールづくりをしたいと、師匠に再び連絡をとった。返ってきたのは「お前はまだ早い、静岡でビールづくりを学んでこい」という言葉。そこから、静岡市の「AOIBREWING(アオイビール)」でクラフトビールの醸造をするようになる。
本格的に醸造を学び始め、初めて自分が考えたレシピでビールを醸造した時に、うれしくて師匠に思いの丈を書き連ねた長文のメールを送った。ただ、返信にあったのは「お前は何も分かってないよな」との一言だった。

「大切なのは、そのグラスの先なんじゃないの。それを飲んでいる人たちがどう思うのか、どんな場面で飲むかというのを考えてビールってつくるべきなんじゃないの」。この言葉が、それからの福山さんの指針となった。

「早く自分の作ったビールを認めてもらいたい」。そう思った矢先の15年8月29日、田口さんは予期せぬ体調の急変で急逝する。35歳の若さだった。田口さんはその年の3月、ベアードビールから独立し、香川県で「Botanical Beverage Works」というクラフトビールの会社を立ち上げたばかりだった。

福山さんは、師匠とビールをつくるという目標を失った。それでもビールづくりを続け、4年間のアオイビール時代の後半には醸造長を任された。ただそれからは、醸造の全責任と、それにこたえられない不甲斐なさに押しつぶされそうな日々だったという。当時について、福山さんは「自分の技術に自信を持てず、結果として自分の考えよりも人の要望を優先してビールをつくっていた」と振り返る。

やがて、「自分のこだわりを詰め込んだビールを作りたい」という思いに駆られ、19年にアオイビールから独立。フリーの醸造家として県内のクラフトビールメーカー数社の製造部門の請負、レシピ考案などに携わった。そこですぐに、ブランドのオーナーでない限りは、自分のこだわりではつくれないしつくるべきではないということに気が付いた。

小規模でも自前の醸造所を開業するには1000万円以上の資金が必要で、毎月100万円以上の運転資金がかかる。福山さんには大きな負担だったが、一念発起して銀行から融資を受け、20年12月に静岡醸造の設立にこぎ着けた。ついに自社ブランドを世に出すスタートラインに立ったのだ。

◯師匠の思いを受け継ぎ、「今日より少しよい明日を」へ

設立当初は、「自分のこだわりを詰め込んだビールをつくりたい」という思いでいっぱいだったが、徐々に考えが変わっていったという。

「何を使ってどうつくるかというよりも、飲んだ人が楽しんでもらえるようにすることが何よりも大切。だから誰と何を食べるかを意識したり、ネーミングをあえてちょっとふざけてみたり、その空間を想像することを大切にしている」

紆余曲折はあったが、師匠が言っていた「大切なのはそのグラスの先を想像すること」という言葉が、ようやく自分のものになったような気がした。醸造家としての経験を重ねて得られた自信が、こんな心境の変化を生んだ。
コロナ禍の影響による物流混乱からビールの仕込み設備が半年以上到着しないトラブルにも見舞われたが、22年7月に醸造を開始。10月には静岡市葵区で自社直営のタップルームのオープンが予定されている。自分のブランドでつくったビールを注いだグラスの先の姿を見るという夢が、ようやくかなうことになる。

「今日より少しよい明日を」。これは師匠である田口さんが「Botanical Beverage Works」で掲げたミッションだ。福山さんは、そこにこんな言葉を付け加える。「ビールを通じて日本社会をもっとゆるくしたい」

福山さんは、その心をこう説明する。

「日本人は真面目すぎる。誰しも大変な時や悩む時はある。そんな時多くの日本人はぐちをこぼすけど、そんなことしたって何も変わらないし、何より楽しくないじゃないか。だから辛いことや嫌なことがあっても、ビールを飲んで失敗も笑い飛ばして、また明日を生きていこう」と。

田口さんの思いを受け継ぎ、福山さんはまずは静岡から「今日より少しよい明日を」広げていくつもりだ。

受賞歴

2020年 「野球動画クリエイター選手権」準グランプリ受賞
2021年 「富士山名物グランプリ」グランプリ受賞
2022年 静岡県主催「山の洲ビジュアルアワード」優秀賞受賞

クレジット

監督・撮影・編集・記事:中島響
プロデューサー:初鹿友美

取材協力:静岡醸造株式会社

静岡のドキュメンタリー映像制作

静岡市で映像制作事業をしているann craft worksの中島響です。主に企業や官公庁向けのPR動画をドキュメンタリー視点で制作しています。「人の挑戦を応援したい」という前職である銀行員の頃からの想いを胸に、ドキュメンタリー映像でその挑戦に貢献することをライフワークとして活動しています。