【広島県東広島市】明治時代から農業水路を維持するために役立った石門
東広島市西条地区の東部、竹原市との市境付近の国道2号線の傍には、「三永の石門」という国指定登録有形財があります。(「三永」(みなが)は、その石門の立地場所の地名です。)
昭和53(1978)年に元の場所から約100メートル西に移築保存され、平成10(1998)年に有形財登録されました。
明治時代の初めに政府は、それまでの幹線道路「西国街道」をルート変更し、国道2号線に改修することで交通網の整備を図りました。新ルートは西条地区側と竹原側の分水嶺の尾根を掘り割ることになりました。しかし尾根上には、ため池から引いた農業用水路がありました。それを断ち切ってしまうと、付近の水田に水が流れなくなります。それは大変です。そこで、新しく造られた国道の上を跨ぐ形で、石門が架けられました。その石門の上に水路が通り、水が流れていったわけです。
石門の全景です。
説明板と記念碑、有形財登録のプレートです。
昭和53年、交通量が増えた国道2号線は拡幅されることになりました。そうすると石門は保存が困難となりましたが、地元の方々の要望もあり、約100メートル離れた場所に移築保存されました。そして平成10年に登録有形財となり、今に至っています。
明治新政府による国土開発で周りの地区の農業が犠牲になることを防ぐために造られた技術史に思いを馳せます…。本州における石造アーチ橋としては数少ない実用橋とのことで、建築学的にも価値のある遺産です。
三永の石門 (みながのいしもん)
所在地:広島県東広島市西条町上三永710-1
定休日なし、24時間見学可能。(すぐ傍の国道2号線は交通量が非常に多いですので、お気を付けください。)