Yahoo!ニュース

性転換、結婚の後、Xジェンダーだと気付いた――格闘の末にたどり着いた「なりたい自分」

中村真夕映画監督・ジャーナリスト

「異性愛で子どもを産んで当たり前みたいな考えが、根強く残っている。しんどいなと思う」。Xジェンダーのアーティストで活動家のmisaneさん(32)は、そう話す。Xジェンダーとは、男性か女性、どちらか一方に限定しない性別の立場を取る人たちのことだ。misaneさんは女性として育ち、男性に性転換し、女性と結婚していた過去を持つ。現在、再婚を考えている男性がいるが、自分の戸籍をどうするかで悩んでいる。

●性転換、結婚の後、Xジェンダーではないかと気付いた

「自分の名前を、昔の名前でも今の名前でも呼んでもらいたくないということに気付いた。
本当に大切な人にだけ、自分の名前が知られている状態だったらいいな」

イラストレーターの仕事をしながら、三重県で同性パートナーシップ制度の導入のために活動しているmisaneさん。兵庫県尼崎市で生まれ、3人きょうだいの長女として育った。

生まれた時の名前はミサ。幼い頃から女の子が好きで、高校生になると男の子のような格好を好んだ。思春期になっても生理はなく、声変わりがあった。

「親からは女の子として育てられて、でも、小学校高学年ぐらいから、自分の中で違う気がすると思っていた。男の子の自分と、我慢して女の子をやっている自分を作っていた」

「自分は男の子だと思っていたけど、社会が女の子だと思っている」感じだった。19歳の時、2歳年下の女性Aさんに一目惚れする。Aさんは男性としか交際したことがなかったが、「男でも女でもミサのことが好きだよ」と、初めてmisaneさんを受け入れてくれた女性だった。

misaneさんは、自分はトランスジェンダーなのだと思い、21歳の時にタイに渡り、性転換手術をして男性になった。戸籍も男性に変え、実篤(さねあつ)という男性名にした。

Aさんの両親は敬虔なクリスチャンで、娘には「普通」の男性と結婚して子どもを持ってほしいと言い、結婚に大反対した。結局、2人は駆け落ち同然で結婚。しかし5年前、妻は25歳の若さで亡くなった。

misaneさんは結婚している頃、妻にメイクの仕方を教えてもらい、2人で女の子の格好をして出歩いた。妻が亡くなった後も「女装」をするようになった。その頃から、自分は男性になりたいトランスジェンダーではなく、男性でもあり女性でもある「Xジェンダー」ではないかと思い始める。

「女性名がミサで、男性名がサネ(実篤)。間をとってミサネなんですけど、それが自分の中で一番しっくり来る名前だった」

イラストレーター「misane」として、似顔絵を描く活動を始めた。今は、自分の心は男性で、性表現が女性だと思っている。

●人前に出るのが苦痛じゃない自分にできる行動は

自分がXジェンダーだと公表して、イラストを描き始めるようになってから、同じようにジェンダーで悩んでいる人たちの相談も受けるようになった。やがて地元の尼崎市で、同性パートナーシップ制度の導入のために活動するようにもなった。

「ジェンダーのことが苦しくて、生きるのをやめたいという人が知り合いにいたりする。人前に出るのが苦痛じゃない自分が、そういう人たちが生きやすいように、自分にできる行動を起こしていったらいいのではと思っています」

ある時、女装パーティーで、女装を趣味とするストレートの男性Bさんと出会う。昨年、彼と暮らすために三重県へ引っ越した。しかし、自分と同じような人たちが少ない地域での暮らしは楽ではなかった。

「異性愛で、2、3人子どもを産んで当たり前みたいな考えが、まだ根強く残っている。三重県に来てから、しんどいなと思うことが増えたかなと思いますね」

役場や病院で身分証明書を出すと、「ご主人のものですか?」と何度も聞かれ、そのたびに自分の性別について説明しなければならなかった。多様なジェンダーが受け入れられるようになってほしいと、男性のゲイカップルとともに、同性パートナーシップ制度の条例化に向けて動き始めた。条例化は却下され、法規ではない「要綱」になったが、9月から三重県でも導入されることが決まった。

プライベートで、misaneさんは葛藤を抱えている。パートナーから戸籍を女性に戻して、結婚してほしいと言われたのだ。自分が我慢して、社会に合わせればすんなり結婚できるのかもしれない。しかし、それも違うのではないかと思った。

「自分のことを男だと思えるのは自分だけだから、自分を大切にしたい」

同性パートナーシップ制度で一緒にならないかとパートナーに相談したが、まだはっきりした答えは出ていない。

●なりたい自分になることは、自分と向き合うこと

4月半ば、misaneさんは大阪の心斎橋にあるカフェで初の個展を開いた。個展のテーマは「なりたい自分になる」。ずっと格闘してきたテーマだ。センターピースは、亡き妻と自分が2人でウエディングドレスを着て抱き合っている絵である。

「子どもの頃から、性別のこととかで、どこか人の目を気にしていた。なりたい自分になることは、自分と向き合うこと。男性の部分と、女性の部分を愛してあげる。子どもの頃の自分を抱きしめてあげたい」

個展にはmisaneさんの両親も訪れた。母親はこう言う。

「(性転換手術をすると聞いて)最初は怒ったな。『何でなん?』みたいな感じ。でも、楽しく生活が送れるんやったら、性別なんて関係ないという考えに変わった。子どものこととか考えたらちょっとショックな部分もあるけど、それ以上に、この子が生きていくのに何が必要かと考えたら、今、自分が選んでいる道やろうから」

女装友だちや元カレも来てくれた。妻と死別してから5年間交際した元カレのマサさん(37)も、女性として生まれ、男性に性転換した。見た目は男性だが、戸籍は女性のままだ。

misaneさんもマサさんも、「X」という性別が入ったパスポートがあればいいと思っている。数年前、一緒に中国経由でタイへ旅行した時、中国の入国審査で「お前たちは性別が逆だろう」と言われ、足止めになった。misaneさんは「セックスチェンジ・フロム・タイ!」と片言の英語で、その場を乗り切った。

今後はイラストを描きながら、タレント活動をしたいと考えている。

「自分のジェンダーに自信がないから、話を聞いてほしいという人も結構いる。自分がしっかり自分らしく、自分の表現したい格好とかを発信していったら、いつかそういう人に届くかもしれない。ロールモデルみたいになりたいなと思って、活動していきます」

映画監督・ジャーナリスト

ニューヨーク大学大学院で映画を学ぶ。2006年、高良健吾の映画デビュー作「ハリヨの夏」で監督デビュー。釜山国際映画祭コンペティション部門に招待される。2011年、浜松の日系ブラジル人の若者たちを追ったドキュメンタリー映画「孤独なツバメたち〜デカセギの子どもに生まれて〜」を監督。2014年、福島の原発20キロ圏内にたった一人で残り、動物たちと暮す男性を追ったドキュメンタリー映画「ナオトひとりっきり」を監督。2015年モントリオール世界映画祭に招待され、全国公開される。右翼活動家・鈴木邦男を追ったドキュメンタリー映画が来年劇場公開予定。

中村真夕の最近の記事