Yahoo!ニュース

【富士川町】思った以上の情報量!富士川舟運や地域に縁のある人物を知ることができる施設

おがわひでいち地域情報発信ライター/写真家(南アルプス市・富士川町)

今回は、先月2月23日にオープンした【富士川町歴史文化館 塩の華】にお邪魔してきました。

場所は、富士川の流れに沿って走る国道52号に面しています。広い駐車場の奥に蔵を模した建物が目をひきます。元々は地域の特産品や郷土食を提供するドライブイン的な施設でしたが、中部横断自動車道の開通や道の駅富士川が整備されたことで役割を終えました。その後、元の施設を利用して、現在の歴史文化館の開館に至ったようです。

何で「塩の華」なんでしょうか?答えは館内で。

舟運歴史館は手前、歴史人物館は奥
舟運歴史館は手前、歴史人物館は奥

【 富士川舟運開通の歴史 】
富士山、赤石山脈と、周囲を3千メートル級の山に囲まれた甲斐の国(現在の山梨県)は、その昔、交通の便の非常に悪いところでした。
江戸への流通ルートとしては笹子峠を山越えして行くか、あるいは駿河の岩淵(静岡県富士市)まで、
人力か馬の背に荷駄をつけて運んで行くしかありませんでした。
しかし今から400年前、徳川家康から"富士川開削"の命を受けた京都の角倉了以らの手により、鰍沢から岩淵までの水路が開通したのです。
ちょうど信州往還と駿州往還の交わる地点に位置していた鰍沢は、この開削によって富士川舟運の要衝地となり、鰍沢河岸は流通の拠点として大きく発展していきました。

繁栄を極めた富士川舟運でしたが、明治44年の中央本線の開通によって物資の輸送が鉄道へと移り、300年余りのその歴史に幕を閉じました。


富士川町役場HPより引用

先ずは「富士川舟運歴史館」エントランスには大きな写真がお出迎え。貴重な当時の様子の写真です。

館内には、当時の貴重な資料の展示やパネルによる解説があって情報量多いです。

当時実際に渡し船として使用されていた高瀬舟
当時実際に渡し船として使用されていた高瀬舟

映像や音声の案内や、職員の方の解説もあって充実した展示です。

こうして地図で見ると駿河湾までの距離をイメージすることができます。昔は陸路を歩いたり馬車で行き来するよりも、圧倒的に船で下る方が早かったのでしょう。

筆者の個人的な感想ですが、情報量が多くてパネルを読む楽しみはありますが、やや過密で読み辛さはあったかな?もう少し整理されていると、筆者レベルの頭でも理解しやすかったと思います。

内容は本当に面白いです。できれば、冊子があればお金出しても欲しいくらい。ゆっくり自宅で読んでみたいと本気で思いました。

今まで知らなかった情報も多くて、一回の訪問では正直足りません。仕事抜きに再訪しようと思っています。

富士川舟運歴史館の並びに「富士川近代人物館」があります。富士川町に縁のある人物30人と、女性開放運動に尽力した望月百合子氏について展示されています。

ジャーナリスト・政治家で元内閣総理大臣の石橋湛山氏。

将棋の米長邦男氏。

著述家で社会活動家の望月百合子氏は記念室まであります。

とても綺麗で丁寧な内容で、じっくりと時間をかけて見て回りたくなる展示です。

少し余談ですが、同施設の駐車場では毎月第2第4日曜日に朝市が開かれています。筆者は立ち寄ったことこそありませんが、週末県南方面に出かけるときによく目にしていました。

時代の流れで役割を終えた施設を、新たに富士川町の歴史文化を紹介する施設としてリニューアルした「富士川町歴史文化館 塩の華」ですが、思った以上に内容が充実していて興味深い展示でした。立地的にも実際に富士川の直ぐそばにあるのもポイント高いと思います。

今では、河川に親しむ文化が薄れてきてしまっていますが、少しの昔まで、重要な交通・物流の手段として人々の生活を支えて賑わっていたと想像すると、また少し富士川を見る目が違ってくるのかなと思います。

【富士川町歴史文化館 塩の華】

場所:山梨県南巨摩郡富士川町鰍沢4852番地1

電話:0556-20-2111

開館時間

 午前9時~午後5時(最終入館 午後4時30分)

閉館日

 月曜日(月曜日が祝日の場合は開館)

富士川町役場HP

問い合わせ

 富士川町教育委員会 生涯学習課

 山梨県南巨摩郡富士川町天神中條1134番地

 TEL:0556-22-7200

地域情報発信ライター/写真家(南アルプス市・富士川町)

本業の傍ら写真家としても活動しています。南アルプス市と富士川町の皆さんが「出かけたい」と思えるような記事をお届けできるように頑張ります。

おがわひでいちの最近の記事