「どれだけ困難でも歩み止めない」クーデター、新型コロナ…ミャンマーで姉妹が見る希望

大小田直貴

ドキュメンタリー監督

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2月に起きたクーデターと新型コロナウイルスの影響で、ミャンマーでは行動制限に加えて物価の高騰、失業者増大など厳しい情勢が続いている。苦しい生活が続く中、力を合わせて暮らす姉妹がいる。姉のティンさん(33歳)と妹のピョーさん(22歳)は、故郷に住む4人の家族を経済的に支えるため、4年前に首都ヤンゴンへ出稼ぎにやってきた。2人は日本人が立ち上げた工房でバッグを作り、日本へ出荷している。
一時、ミャンマーでは新型コロナの感染者が一日5000人を超え、PCR検査や入院もできない厳しい状況に陥った。ちょうどその頃、妹のピョーさんは高熱に倒れてしまう。「よくなるためには何をやればいいのか考えても答えが出ない。夜も眠れない」。先が見えない状況の中でも家族を思い生きる、2人の生活に密着した。

<故郷の家族を懸命に支える2人の姉妹>
2021年5月中旬、クーデターと新型コロナの影響で閉鎖していたヤンゴンの住宅街にあるバッグ店の工房が2カ月ぶりに再開した。工房にはバッグを販売する店が併設されており、伝統的な手織り布をあしらったバスケットや、ミャンマー特有の鮮やかな色使いが特徴的なクラッチバッグなど、およそ20種類の商品が所狭しと並ぶ。工房では、地方から出稼ぎにきた20〜30代を中心とする4人の女性が働いている。ティンさん、ピョーさん姉妹は工房の再開を待ち望んでいた。ティンさんは村での生活をこうふり返る。

「村に帰ったら何もできない人みたい。何も仕事もないし、できないし帰っても意味がない。ここで働く理由は、もらったお金で家族に生活の支援ができる」

姉妹は工房に住み込みで働きながら、遠く離れた故郷に住む家族に仕送りをしている。モリンガはミャンマーコットンの糸で織られた布や、草木染めの手織り布などを仕入れ、工房で縫製し、クラッチバッグやトートバッグなどに仕立てる工房だ。値段はクラッチバッグが1万4300円。姉のティンさんはマネジャーとして布の仕入れや在庫管理を行い、妹のピョーさんは縫製を担当。ミシンを全く使ったことがなかったピョーさんも縫製の腕を上げ、工房のあらゆるバッグを縫うことができるようになった。学歴がなく、村では仕事を探せず困っていたピョーさんは、今や工房の縫製をリードする頼もしい存在だ。

「この仕事を始めてから自分の役割があるし、縫製もできるようになったし良いことがたくさんありました」

<ミャンマーの女性たちを支える発起人の思い>
姉妹が働くのはデザイナーの今野まやさん(45歳)と、現地の教育機関で働く水口知香さん(48歳)が5年前に立ち上げたバッグブランドのモリンガ。今野さんは夫の転勤をきっかけに2014年から4年半ミャンマーで暮らし、ミャンマー人の温かさ、丁寧なものづくりに感動してモリンガを立ち上げた。ミャンマーでは手間のかかる手織り布と機械織りの布が同じ値段で取り引きされ、手織りの織子が減っている現状がある。モリンガはミャンマーの伝統的な手織り布と、今野さんによる現代的なデザインを組み合わせて、需要を生み出そうとしている。手織り布を後世に伝えながら、学歴がなく就業に苦労する女性たちの収入増をめざす。そのため、原材料である手織り布は絶対に値切らないというルールのもと、仕入れる時に適正な金額を支払ってきた。そして、工房で働く姉妹の給料は毎月固定の基本給と、作ったバッグの数に応じて支払う歩合給だ。今野さんは、モリンガを立ち上げた思いをこう語る。

「機会があれば輝ける人ってたくさんいると思っていて。だから一個でも多くチャンスを作りたいと思った」

これまでモリンガでは工房に併設する店舗で販売を行い、富裕層や外国人を中心に人気を集めて売上を順調に伸ばしていた。しかし、店舗閉鎖に伴い現地での販売手段を失ったため、新たに日本で販路を開拓する必要がある。今野さんは日本の消費者を意識してサイズや布の状態を厳しく検品し、品質向上に注力した。そして日本橋三越本店などの百貨店で、立て続けに4件のポップアップストアを出店。色とりどりの手織り布を使い、丁寧な縫製で作り上げたバッグの魅力を客に伝えた。いまでは通信販売にも力を入れて、1カ月に1度ほどのペースでミャンマーからバッグを取り寄せている。

今野さんは時おり工房で働く姉妹たちと連絡を取り合い、バッグのデザインや納期について打ち合わせをする傍ら、近況を尋ねている。聞こえてくるのは苦しい現地の暮らしぶりだ。

「仕事を失った人が多く、故郷では3食は食べられない。米の代わりに草を食べるしかない人もいる」

ティンさんはそう言って故郷の厳しい生活を案じた。

<日課の母への電話が唯一の楽しみ>
姉妹が生まれたのはヤンゴンからバスで12時間かかる農村。村では農業以外の仕事が少なく現金収入は限られるため、兄弟姉妹6人を含む大家族の生活は苦しかった。勉強熱心なティンさんは高校卒業後、農業支援などを行う日本のNGOで研修を受け、日本語を習得。10年以上働いて家族の家計を支えてきた。
当時そのNGOで働いていた水口知香さんと出会い、水口さんが今野さんと共にモリンガを立ち上げると、ティンさんは仕事を見つけられず家の農業を手伝う他なかった妹を誘って働き始めた。時には叔母の手術代を工面するなど、2人は家族を支える大黒柱だ。

家族と離れて暮らす姉妹の楽しみは、終業後にかける母への電話。ほぼ毎日連絡を取り合い、「お母さん元気? 鼻声が治ってないよ」と母を労る。気がかりは、糖尿病を患う母の体調だ。毎月給料のおよそ半分を仕送りして、母の治療費にあてている。
「お母さんは糖尿病があるから、毎日薬を飲んでいる。薬代も高いから、毎月の仕送りは病気の薬代で終わっちゃいます」

<ミャンマーを取り巻く現状>
苦しいのは農村部だけではない。クーデターが起こる以前の都市部では外国資本によるホテルや商業ビルの建設ラッシュが続く一方、物価や地価は高騰。経済格差も広がる中、新型コロナが状況を悪化させた。その結果、世界銀行はおよそ100万人が失業する恐れがあると指摘している。ミャンマー在住の水口さんによると、これまで子供や女性が担っていた路上の花売りを、職がないために男性が担う光景を目にするという。
市民は必要な生活用品や食料品は買いだめすることで極力外出を控えており、市内は閉店している店舗も多い。姉妹の実家への送金も簡単ではない。銀行が機能不全に陥り送金ができないため、故郷に向かうバスの運転手にお金を預けて送金している。銀行より手数料は高くなるが、他に方法はないという。

<新型コロナが姉妹を襲う>
7月、工房にも新型コロナの足音が近づき始めていた。感染者は右肩上がりに増え続ける中で、妹のピョーさんが発熱。食欲もなく高熱にうなされながら寝込んでいた。しかし、検査や入院する体制が整っていないため、間に合わせの市販薬とティンさんの看病で様子を見るしかない。
「病院に連れて行けないので自分が看病するしかない。バッグ作りは妹の分も頑張らなければならないので大変だった」

現地に暮らす水口さんは「今が一番(医療現場が)ひどいんじゃないか」と語った。

「病院も受け入れ拒否されて、入院もできない。運ばれてきた救急車が病院の前に並んでいるような感じ」

幸いピョーさんは1週間で回復した。

実は姉のティンさんも新型コロナには苦い記憶がある。ティンさんは2020年の12月から再び日本のNGOで働くことが決まっていた。日本で働けば、ミャンマーの3倍近い収入を得ることができる。その収入をもとに、NGOでの調理経験を生かして、パンやケーキなどを販売する洋菓子店を開くことを夢見ていた。そうすれば、仕事がない兄弟姉妹、親戚を雇って皆の生活を今以上に支えることができる。希望を胸に渡日に向けてPCR検査を受けたところ、結果は「陽性」。予期せぬ結果に動揺したが、延期すれば日本に行けると思っていた。ところが、その直後にクーデターが起き、見通しが全く立たなくなった。

「どうすればいいのか分からず、1日中泣いていた。これから何をしたらいいか全然わからないし。お母さんが心配するから、コロナになったのをお母さんに隠しました」

夢が遠のき、途方にくれたティンさんを温かく迎えたのは、これまで4年間働いてきたモリンガだった。

<どれだけ困難でも歩みは止めない>
8月、給料日を迎え、送金を報告するために母に電話をかける姉妹の姿があった。「少しずつでも食料品や薬を買ってね」と家族の生活を案じた。

モリンガでは、住居を無料で提供し適切な給料を姉妹に渡しているが、それでも今野さんは「彼女たちが幸せになったかは分からない」と言う。「でも、自分からもっと品質を上げたいとかデザインを変えたいとか自分の意見を言えるようになった。将来こうしたい、という考えができてきた」と姉妹の変化を語る。

将来、ピョーさんは洋服を仕立てる店を、ティンさんは洋菓子店を持ちたいと夢見ている。
たとえ、いつか姉妹がモリンガから離れても、先を見通すことが難しいミャンマーで夢を持ち、前進し続けてくれることを今野さんと水口さんは願っている。

クレジット

撮影・翻訳協力 moringa(モリンガ)
演出 撮影 編集 大小田直貴
プロデューサー 前夷里枝

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