【富田林市】錦織公園にある堂ノ山古墳は、貴重すぎる石室だった!その由緒を徹底解説します
富田林市の南西側、河内長野市との境界線近くにある大阪府営錦織公園(にしこおりこうえん)は、近隣の市民にとって大好きなスポット。サイクリングをしたりお弁当を持って休日を過ごしたりと、住宅街の近くにあるのに身近に自然を楽しめる貴重な場所です。
ご存じのとおり、公園内は山あり谷あり。赤穂池や河内の里、やんちゃの里など、場所によって全く景色や趣向の違う場所に出会えるのも、錦織公園の魅力です。そんな公園の南東側にあって、意外に見落としがちでなのが、堂ノ山古墳。
なんと古墳が錦織公園にあること、知らない人も多いのではないでしょうか。この古墳の由緒を調べてみると、非常にレアな存在であることが分かりました。
それでは、さっそく行ってみることにしましょう。堂ノ山古墳は、公園の南側入口からほんの少し歩いたところにあります。
先ほどの公園案内図を拡大しました。南口からは中の谷方面に向かうメインの通りではなく、その東側、公園事務所すぐ北側の道を歩いていきましょう。やがて左手に梅の里が見えてくると、その右側に古墳の登り口があります。
※案内図では堂の山古墳とありますが、正式には堂ノ山古墳です。
今回私たちは、錦織公園の別の所にも立ち寄っていましたので、南口ではなく梅の里側から坂を下りて再度上がるというアップダウンの激しいルートを選びました。
手前は梅の木で、真ん中の灰色に見えるのが、南口から通じている道。その上の盛り上がっている高台に古墳があります。
さていよいよ古墳の入口に来ました。道しるべがあるのでとてもわかりやすいです。右手に見える木の階段を上がって下さい。その上に堂ノ山古墳があります。
上がったところに石が見えました。これがあの堂ノ山古墳。近づいてみると、石側とその右横にふたつの穴があります。これはひとつの古墳の丘の南北方向に、2基の石室が並べられているということ。
この様式は、日本はおろか朝鮮半島でも数が少ない、非常に貴重でレアな古墳なんだそうです。
すぐ横に古墳の解説版があったので、それを読んでみました。堂ノ山古墳は大阪府教育委員会の文化財保護課が発掘調査を行って、その結果を踏まえてわかりやすく復元したものなんだそうです。
調査によると、1辺10メートルの方墳(ほうふん=四角い古墳のこと)であることがわかったとのこと。また出土したものには、棺を飾った金具や棺材をつないだ鉄釘が発見されました。
これらの出土自体が大変珍しく、特に方形座金(ほうけいざがね=鉄製の棺で使っていた金具)は初めてとのこと。すごい発見だったわけです。
堂ノ山古墳は、古墳時代の終わり(7世紀)ごろに作られ、朝鮮半島の影響を受けているそうです。そこに埋葬された人は、朝鮮半島からの渡来人集団の首長ではないかと推定。
この古墳の復元にあたっては、もともと現存していた石材をそのまま用いており、残念ながら現存していなかったところには新たに花崗岩を用いたそうです。
古墳のうえから登ってきた方向を見ると、梅の里側の様子が見えました。梅の咲く早春の頃は、ここから美しい花嵐が見られるのでしょう。南河内地域に数多くある古墳の中でも、非常に珍しい堂ノ山古墳。この機会に、一度じっくり見てはいかがでしょうか。
堂ノ山古墳
住所:大阪府富田林市錦織1560 大阪府営錦織公園内
営業時間:24時間自由入場可能
定休日:無休
料金:無料
アクセス:近鉄滝谷不動駅から徒歩18分