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【河内長野市】大阪外環状線・国道170号バイパスのチェーン店が立ち並ぶ一角に古墳がある? 

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

大阪外環状線・国道170号線バイパス沿いには、たくさんのお店。先日もスターバックスコーヒーがオープンしましたし、飲食店だけでなく家電量販店やホームセンター、温泉施設など、本当にいろんな業種のお店が並んでいます。

夜になればひっそりしている河内長野の中でも、このメインの大通り沿いだけは画像のようにネオンが光り輝く場所。ところがそんなところに、小さな古墳がひとつ残されていました。その名は塚穴古墳(つかあなこふん)です。

こちらが塚穴古墳。一見空地のようなところに、山のような土と石が適当に盛られているようにしか見えません。しかしこれが古墳であることは、すぐ横に設置した河内長野市上原財産区の説明版で分かります。

     スマホでは見えにくいので一部拡大しました
     スマホでは見えにくいので一部拡大しました

場所を確認しましょう。流石にパイパスの横ではありません。しかし旧国道とバイパスが並行しているところにあります。上原町の交差点の旧国道より。すぐ隣にレストランがあるので、説明版が無ければまず気付きません。

こちらがその説明版で、1997(平成9)年に設置されたもの。これをみると興味深い内容が書いてありました。

これが古墳時代に作られた、横穴式の石室を持つ古墳であることは間違いありません。古墳の埋葬者は聖徳太子の甥ともいわれている高向王の墓との伝承が残っていました。

しかしそのまま保存されていたのではなく、近世・江戸時代のころに一度取り壊されたというのです。そして再度組み直したことが判明しました。

古墳の上をみるとこのような石塔があります。確かに通常の古墳時代の古墳にはこのようなものはありません。1986(昭和61)年の発掘調査により、五輪塔や宝篋印塔(ほうきょういんとう)といった石造物や永楽通宝や寛永通宝といった銅銭もでてきたとのこと。

これらが江戸時代のものなので、一旦取り壊して組みなおした古墳であることが分かりました。組み直した後、地元の共同墓地として使われたとか。また地元の伝承にによれば、大坂城築城の際に古墳の石材を運ぼうとしたところ、ある事情で元に戻したとあります。

祟り(たたり)があって、大坂城を築城した豊臣秀吉が恐れたかどうかまではわかりません。江戸時代との推定から、その年代にもズレがあります。

ただそんな不思議な歴史を持つ塚穴古墳が、チェーン店の隙間にひっそりと存在していること。不思議な歴史ロマンを感じます。

塚穴古墳
住所:大阪府河内長野市上原町19
営業時間:24時間自由入場可能
定休日:無休
料金:無料
アクセス:南海・近鉄河内長野駅からバスに乗車。上原口バス停から徒歩4分

奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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