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【河内長野市】観心寺境内の奥、京都奪還のために戦った南朝2代目の後村上天皇陵・檜尾御陵に行ってみよう

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野駅からバスで10分ほど、観心寺に来ると山寺の雰囲気が残る静かな空間が広がっています。同寺院は、高野山真言宗遺跡本山という格式高い寺院で、境内には南北朝時代に活躍した楠木正成の首塚も存在。

ところで、その首塚よりもさらに奥に、吉野に逃れて南朝を興した後醍醐天皇の御子で、南朝2代目(通算97代目)となった後村上天皇(1328-1368年)の桧尾御陵(ひのおのみささぎ)があります。今回は中世の天皇陵を紹介しましょう。

堺市にある世界遺産の仁徳天皇陵(大山古墳)
堺市にある世界遺産の仁徳天皇陵(大山古墳)

大阪府で唯一世界遺産に登録された、百舌鳥・古市古墳群。画像はその古墳の中でも最大級の仁徳天皇陵です。

世界遺産に登録されたことで古墳ブームともいえる昨今、今回紹介する後村上天皇陵は、古墳の定義に当てはまる3世紀の中頃から7世紀にかけて作られた、土を盛ったお墓には該当しません。

しかし中世の天皇陵という貴重な歴史の足跡でもある後村上天皇陵は、観心寺参拝の際に立ち寄ってみる価値が高い場所です。

後村上天皇陵の場所を確認しましょう。これは観心寺の入口にある案内図です。少しわかりにくいですが、大きく「観心寺」と書かれている所から右上に、後村上天皇陵があります。

先ほどの地図を拡大しました。この図では入口が国道310号線の少し離れたところにあるように見えますが、そうではなく、観心寺の境内から入ります。

さて、なぜ観心寺の中に後村上天皇陵があるのか? それは天皇と観心寺との関係を見れば見えてきます。後醍醐天皇の後を継いだ南朝二代目の後村上天皇。南朝と言えば奈良県の吉野ですが、この天皇は吉野で生涯おとなしくしていたわけではありません。

観心寺山門のすぐ右手にあるこの石碑は、後村上天皇が10ヶ月政務をとった行在所(あんざいしょ、天皇の仮住まい所)、観心寺行宮の後のしるしです。南朝の目標は京都奪還ということもあり、積極的に河内地域に来ては様々な行動を起こしました。

北朝のある京都では足利幕府が誕生しましたが、やがて将軍尊氏(たかうじ)と弟直義(ただよし)とが対立し、直義が一時期南朝側につくなどまだまだ混迷していました。

また光厳(こうごん)上皇ら複数の北朝の皇族の方々が同じ河内長野市内の金剛寺に滞在していた時期があるなど、河内長野は想像以上に歴史の舞台となっていた土地です。

画像のように、観心寺本堂から右手に行くと、有名な楠木正成首塚とともに、後村上天皇陵があります。

後村上天皇陵は宮内庁の管轄ですが、そこに入る右横に、同じく宮内庁が管理している場所があります。こちらは後醍醐天皇の側室で、後村上天皇の母・新待賢門院(しんたいけんもんいん)こと阿野廉子(あのれんし)の墓。

さて、いよいよ後村上天皇陵の入り口です。宮内庁の掲げた看板を見ると、ここが観心寺境内でありながら、明らかに違う空気。まるで結界の中に入るような不思議な気持ちになりました。

天皇陵までは少し歩く必要があります。すぐ後ろ側にあると勘違いしていたため、歩いていて少し疲れました。5分ほど長い石段を上がっていくとやがて天皇陵が見えてきます。

こうして石段を登りきったところに後村上天皇陵の桧尾御陵(ひのおのみささぎ)がありました。記録によれば天皇が崩御(ほうぎょ:死亡)されたのは、住吉大社の宮司、津守氏の住之江殿(住吉行宮)。遺体は火葬されました。

住吉の前に行宮だった観心寺に陵(お墓)が作られ、現存しませんが法華三昧堂が横に建てられたそうです。そして中世・近世の書物ではこの場所が後村上天皇陵と伝えており、宮内庁も後村上天皇陵として定めました。墓の形式は円丘です。

観心寺の奥にひっそりとたたずむ後村上天皇陵こと桧尾御陵。京都奪還を目指しながら、無念のうちに崩御された後村上天皇のことに思いをはせながら、しっかりと手を合わせました。

後村上天皇陵・檜尾御陵
住所:大阪府河内長野市寺元 観心寺内 
アクセス:南海・近鉄河内長野駅からバス 観心寺下車 徒歩15分

奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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