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【富田林市】直球名称で腰痛を癒す!嬉にある腰神神社は、飛鳥時代からの長い歴史と楠木正成ゆかりの逸話が

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

神社の名称を見ると、一般的なのは、大小かかわらず鎮座している地域の名前が付くのが一般的です。伊勢神宮にせよ出雲大社にせよ、それぞれ伊勢、出雲地域にある神社というのが一目瞭然。

しかしそれとは別に、ご利益が神社の名称に出ている直球名称のところもあります。嬉(うれし)にある腰神神社(こしがみじんじゃ)もそのひとつ。名前からして「腰痛にご利益があって癒されそう」というのがわかります。

腰神神社は市の南部、石川の東側、嬉地区にある小さな神社です。山の中腹にある朱色の本堂や塔がある願昭寺(がんしょうじ)の登山口と、市の最高峰・金胎寺山(こんたいじさん)の登山口の、ちょうど真ん中あたりに入口があります。

車だと見落としそうな所にありそうですが、問題ありません。このように目立つ立派な看板、かつ駐車場があります。車での参拝もこれで安心。

さて、入口はこちら。山に隠れた小さな神社。見た目は小さいのですが、この神社は非常に由緒正しいのです。創建は大変古く、そして中世の楠木正成にまつわる伝説がありました。

境内にはトイレがあります。これはうれしいですね。

手水舎があります。タオルまでありました。

さてこの腰神神社の創建を調べると645年の大化の改新の頃と伝わります。伝承によると、和歌山の紀伊国にいた豪族の簑島宿禰(みのしまのすくね)が、紀見峠を越えてこの嬉の地に来ました。

ちなみに宿禰(すくね)とは、大和朝廷初期のころの武人や行政官を表す称号です。

拝殿の前に来ました。この拝殿も決して大きくはありませんが、絵馬がたくさん奉納されており、信仰の厚さがうかがえます。

簑島宿禰は文武に秀でた人物で、彼の側室とされる玉藻姫は大和桜井の豪族の娘とのこと。簑島は師範として嬉村にくると、河川(河州=河内国?)で、文武を広めていきます。その結果、地元の人たちから功績をたたえられ、腰神神社に祀られました。

ちなみに、簑島宿禰のほか八大龍王(はちだいりゅうおう)、猿田彦尊(さるたひこのみこと)、国光大明神(くにみつだいみょうじん)の4柱を祭神として祀っています。

境内には、このように石を御神体とした末社があります。この腰神神社の御神体は金胎寺山の中腹にある巨石とのこと。古神道に通ずる、原始的な自然崇拝の流れを汲んでいるように考えられます。

さて腰神神社の歴史はここで終わりではありません。この神社が腰痛にご利益があるという根拠は、中世の南北朝、楠木正成の時代に由来するものです。

1334(建武元)年、後醍醐天皇の命により、正成は鎌倉幕府討伐のため軍をすすめます。ところが彼の愛馬である千早丸の腰が突然立たなくなります。それがちょうど腰神神社の境内でした。

境内にあるこちらの木は藤の木で、樹齢が700年あります。正成は、当時既に存在していたこの藤の木に千早丸をつなぎ、そして千早丸の腰が治るようにお祈りします。すると、たちまち馬の腰が治りました。

これを喜んだ正成は、この神社で戦勝祈願を行い、幕府軍との戦いに向かいます。そして愛馬の腰を治したということで、この神社を嬉村城山の守護神と定め、黄金毘沙門天と楠木家の菊水の御紋をさずけました。

こうして腰を治す御利益があるという信仰が広まり、腰神神社と名付けられました。また拝殿に絵馬が多く掲げられるようになり、以降は名のある武将も多く参拝したそうです。

境内には力石があります。石を神として祀られた神社らしく、かつて若者がこの石を持ち上げて力自慢を競い合ったとか。石は60キロ、105キロ、120キロあるそうです。

私は挑戦しませんでした。挑戦して誤って腰を壊してしまえば元も子もありません。腰を癒してくれる神社なのに、そうなったら洒落にもなりませんね。

拝殿の近くの祠では、国光大明神が祀られていました。

こうして、ゆっくり腰神神社を参拝しました。ここは、決して大きな神社ではありません。しかし古代の偉人が祀られ、そして中世の偉人の馬の腰を癒した神社は、たとえ腰に持病を抱えていなくても、予防の意味を込めて参拝しておきたいところです。

腰神神社
住所:大阪府富田林市嬉62
参拝時間:24時間
アクセス:近鉄汐ノ宮駅から徒歩10分

奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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