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【富田林市】「金剛」の名前の由来に驚きの事実!四国八十八ヶ所巡礼がこの地にあったパワースポットだった

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

古い町並みが残る寺内町や石川の東に広がる田園地帯とは違って、団地や戸建て住宅が整然と立ち並ぶ金剛地区。ご存じの通り、大阪外環状線のすぐ西から急激な上り坂になっている羽曳野丘陵、そこから金剛地区の住宅地が広がっています。

1960年代の高度経済成長期の時代に、大阪市近郊で活発に住宅地の開発がなされました。そのとき、それまで何もなかった金剛駅の西側の羽曳野丘陵西斜面を開発して住宅地を建て、金剛ニュータウンが完成。そして第二弾として、さらに東側に金剛東ニュータウンができました。

ところで、この地区の名前「金剛」とは何からきているのか、ご存知ですか?

おそらく誰もがすぐ思い出すのは、千早赤阪村にある金剛山。ところが、この街のネーミングの由来を調べてみると、まったく違うことがわかりました。

金剛山
金剛山

ではなぜ金剛といえば、単直に言えば南海高野線の金剛駅からきているのですが、駅ができその周辺を金剛と呼ばれるには、パワースポットとなる大きなできごとがあったのだそうです。

金剛駅は大阪狭山市にある駅で、富田林市とはほぼ市の境界線にあります。1937(昭和12)年に河内半田駅(現:大阪狭山市駅)と滝谷駅のあいだに新設されました。そしてこの金剛駅の名前の由来は、駅が新設された理由に由来します。

その理由は、意外なことに、四国八十八カ所がかかわっていました。四国八十八ヶ所とは、四国にある空海ゆかりの寺院88カ所の総称で、この88カ所すべてを巡礼して参拝する行為を遍路(へんろ)と呼びます。

そして遍路の最中、いつ倒れてお大師さま(空海)のところに行くことになってもいいようにと、白い死に装束姿で、寺院をひとつずつ歩いて巡礼していきます。

このお遍路は、徒歩で回ると40日程度かかるそうです。それをたとえ数回に分けて回ったとしても、非常に大変ですよね。ここに目を付けたのが南海鉄道(現:南海電鉄)でした。南海鉄道が創立50周年となった1935年から数年間、それを記念して様々なイベントを企画しました。

そのうちのひとつが、1937年に行われた『四国八十八ヶ所出開帳』と呼ばれるもの。これは、お遍路で回る各寺院をふたつの会場に集結させ、会場に各寺院の住職を招き、本尊のレプリカを設置したという、実に大掛かりなものでした。

このイベントは、会場で一度に回って参拝すれば、四国88ヶ所回ったことと同じ意味を持たせるというもの。

南海本線の助松駅(現松ノ浜駅)付近に作った遠州園という会場では、徳島と高知の札所を設置。そして、愛媛と香川の札所は、高野線の河内半田駅と滝谷駅のあいだに、金剛園という会場を設置しました。この会場の金剛園の前に駅を新設したのが、今の金剛駅です。

イベント会場をあえて2カ所に分けて開催したのは、会場同士を往復するのに南海の鉄道を利用してもらうため。なるほどの策略ですよね。

龍泉寺仁王門の金剛力士像
龍泉寺仁王門の金剛力士像

さらに、このイベントの会場名に「金剛』」いう名前を使った根拠もわかりました。

金剛とは非常に硬いものとの意味があり、金剛石とはダイヤモンドを意味します。そしてもうひとつ仏教用語でも登場し、性質が堅固で壊れないことから、最上・最勝の意味で使われるのだそうです。

日本の仏教の複数の宗派で使われる金剛杵(こんごうし)や、仁王門でにらみを効かせる金剛力士像なども該当します。

金剛杵(仏教の法具)のイラスト
金剛杵(仏教の法具)のイラスト

さらに、空海が日本に持って帰ってきた真言密教でも、金剛という言葉はよく使われており、金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)という密教の世界観の名前で使われたり、高野山にある真言宗の総本山が金剛峯寺(こんごうぶじ)という名前になったりしています。

そして四国八十八ヶ所での遍路で唱える言葉も「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」ということで、南海鉄道のイベント会場名と新設する駅名に「金剛」と名づけたのは、理にかなっていたというわけです。

いずれにせよ、南海電鉄がかつて行ったイベントが元となって登場した「金剛」というキーワード。

残念ながらそのイベントの会場位置まではわかりませんでしたが、金剛地区の名前のルーツがわかり、たいへん霊験あらたかな場所であったことは、とても嬉しい発見ではなと言えるのではないでしょうか。

奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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