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【富田林市】住宅街の一角がとつぜんタイムカプセル。5世紀前半に作られた彼方丸山古墳を知っていますか?

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

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市内を流れる石川の東側と佐備川の間、国道309号線を境に南側は、途中に小高い山が連なっています。そこには最高峰の金胎寺山や、その北側にあって「かんぽの宿富田林」が建つ嶽山がそびえていますね。

この辺りで東西を通行するには、滝谷不動尊の前を通る府道しかありません。しかしある日のこと、佐備から滝谷不動駅に行くのにいつも同じ道ばかりではつまらないと、別の道を通ってみることにしました。

山が連なるいちばん北側には、楠風台(なんぷうだい)があるので、そこを通って西方向に向かったのです。

こちらが楠風台の住宅地。遠くには市の象徴といえる、PLタワーこと大平和祈念塔(だいへいわきねんとう)が見えます。ところが住宅地ではよくあることですが、あるところから西が行き止まり。仕方なくいったん東方向に周回することとなりました。

そして、この住宅地から瀧谷不動駅方面に出る道を探していたところ、突然現れたのがこの風景。最初は住宅建設予定のような空き地かと思っていたら、「河内ふるさとの道」の文化財のひとつとして富田林市が設置した説明版を発見しました。

それを読んだところ、この正体は彼方丸山古墳(おちかたまるやまこふん)であることがわかりました。これは本当に驚きました。特に意識せず住宅地を歩いて、突然見つけた古代へのタイムカプセルです!

端の方に小さな階段があり、その上が踊り場のなっているところがありました。古墳の中には入れませんが、そこから古墳全体を見ることができます。

説明版によると、直径35メートル、高さ4.5メートルの規模を持つ円墳で、丸い山のような外形をしています。

参考:古墳の種類
参考:古墳の種類

さらに説明版によると、古墳本来の外型が当時の状態のまま保存されているそうです。そして古墳の周囲には、幅9メートルの浅い濠がめぐらされていることもわかりました。

ところがその濠の中に大量の河原石で構成された丸石が蓄積されているとか。恐らくは、墳丘を覆っていた石が濠に落ちたものと推測されます。

踊り場の上からの風景。ここから古墳全体が見渡せますが、緑に覆われていることもあり、この位置からはその濠がどこかまではわかりませんでした。

参考画像:朝顔形円筒埴輪
参考画像:朝顔形円筒埴輪

ちなみに発掘調査の結果として、濠の底からは、朝顔形円筒埴輪(はにわ)、きぬがさ形の形象埴輪が出土したそうです。これらは、おそらく丸山の斜面に立てられていたのではないかということ。

参考画像:きぬがさ形埴輪
参考画像:きぬがさ形埴輪

ただし、現時点で丸山古墳内部の発掘はされていないので、どんな内部構造になっているのか、副葬品があるのかどうかはわかっていません。

ただ頂上部分の封土の中に片岩質や安山岩質の割石片が混入しているので、竪穴式石室の可能性があるとのこと。そして古墳のできた年代は5世紀前半頃で、古墳時代中期の物と考えられています。

またこの彼方丸山古墳の特徴として、石川谷の中、下流域を展望する河岸段丘上の縁辺(まわり)に古墳が作られたことです。そして古墳の頂点は標高89.1メートルあるのに対して、その前にある部分は標高65.5メートルの高低差があります。

さらにこの古墳が作られた時代を確認すると、石川の下流、大和川との合流点に形成された古市古墳群が形成されつつある時期と重なるとか。

参考:応神天皇陵(古市古墳群)
参考:応神天皇陵(古市古墳群)

世界遺産にも登録された石川下流の古市古墳群は、応神天皇陵等の巨大古墳ができているのに対し、上流に当たる富田林の彼方、佐備、板持にある古墳の主は、この地域を収めている地方豪族の墳墓との見方が強いです。

古墳の後ろに住宅が並んでいますが、その背後にも山が迫っていて、古墳と一体化しているようにもみえます。またこの彼方丸山古墳のほか、東方の板持、さらに後ろの山(丘陵地帯)にも古墳があることがわかっているとのこと。

これを見て、他の古墳も、次回ぜひ確認していこうと思いました。

古墳を見たあと、楠風台の道をを歩きます。気が付けば気持ちが古墳時代から現在に戻っていました。タイムカプセルのように存在した古墳を見たためか、突然現代に戻った不思議な感覚。余韻を感じながら西方向の石川、滝谷不動駅を目指しました。

彼方丸山古墳
住所:大阪府富田林市楠風台1丁目5-12 
アクセス:近鉄滝谷不動駅から徒歩20分

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