【富田林市】南海滝谷駅の北側伏山地区に多くの小さなため池!甲田十三人衆の活躍で作られたため池群を紹介
南海滝谷駅から金剛駅方面に地図を見たとき、非常に興味のある光景がありました。それは、名前も書いていない小さなため池が、数多くあったからです。
富田林市を含む南河内地域は石川以外に水源がなかったため、古くからため池を作ってそれを農作業に利用していました。古代の狭山池をはじめ、市内の粟ヶ池や寺池、あるいは河内長野市にある寺ヶ池など、今でも数多くのため池が現存します。
それにしても滝谷駅から北側にあるため池群は、小さな池が並んでいます。
地図では水色の部分が水場を示していますが、いちばん左の小さな水路を除けば、後はすべてため池。特に②から⑥については連続して続いています。これは実際どういうところなのか、見ておきたいと思いました。
南海滝谷駅です。南海高野線では唯一富田林市内にある駅。近鉄長野線の滝谷不動駅と違って、駅名由来と思われる瀧谷不動尊からは離れています。しかし駅の歴史は大変古く、1898(明治31)年に、当時の高野鉄道の狭山駅と長野駅間の延伸で誕生しました。
19世紀から存在する由緒ある駅で、以降は高野登山鉄道、南海鉄道、近畿日本鉄道を経て、現在は南海電鉄の駅となっています。
地図を見ながらため池の方向を歩いていきます。まずは手前にある①の池をチェック。
このようになっていました。一見池が枯れて雑草が生えているように見えますが、よく見ると、雑草の隙間から水が見えます。
①の池からしばらくあるきましたが、この踏切がみえるところを右に歩くと、いよいよ連続して小さなため池が続きます。
最初に見つけたのは②の位置にある池です。こちらは①と違い、水面がはっきりと見えました。
②の池から進むと堰のようなものになっています。そして左側に次の池③が続くのですが、よくみると、右側の②の部分の水面と③の部分水面にずいぶんと高低差がありました。
こちらが③の池。想像ですがおそらく②と③は、本来一体化した池にしようとしたけど、高低差のある場所なので、このように堰を使って異なる水面の高さにして管理しているのではと感じました。
たしかに②の池からは丘になっていて坂を上っています。そしてこれはこの後登場する⑤と⑥の池についても同じような雰囲気でした。
連続する小さなため息の部分を拡大しました。こんなイメージです。
③の池から少し歩くと、今度は⑤の池が見えてきました。
その前に、道路と反対側には④の池があります。
こちらは⑤に該当する池。そしてちょうど真ん中から上のように緑の壁が見えますが、その奥に⑥の池があります。
緑の壁のあたりをみると、②と③の関係と同じく、水面の高さの違う⑤と⑥の池の堰になっています。
これが最後、⑥に該当する池です。これらの小さな池ですが、地図上に名前が見当たりません。
このように池では釣りを禁止する看板があるだけで、池の名前には一切触れず。本当はあるのかもしれませんが、現時点ではわかりませんでした。ただこの池がある伏山地域の水利組合が管理していることは確かです。
これまでも富田林市市役所の担当者の方はいろいろと教えてくださっていました。なので思い切ってため池群について質問をしてみました。するとお忙しい中、次の回答をいただきます。
甲田十三人衆についてさらに詳しいことがないか調べてみましたが、現時点では明確な情報が出てきません。ただ甲田地区にそういう組織があったことは事実。またいつか情報が出てきたら紹介したいと考えています。
ちなみに十三人衆という言葉からは、鎌倉幕府で初代将軍源頼朝亡き後の集団指導体制で宿老13人の合議制というのが出てきました。これは2022年大河ドラマの「鎌倉殿の13人(外部リンク)」の登場人物たち。
大河ドラマほど大げさではありませんが、恐らくは似たように長老が13人集まって、開墾のためにいろいろな取り決めごと、作業を行っていたのでしょう。
⑥の池から寺池方向に歩きました。すると丘の上に造成された伏山台に、もうひとつ小さな池を見つけました。この池も小さく名前はありませんが、甲田十三人衆がかかわったことは、間違いなさそうです。
もし近くに行くことがあれば、かつての偉人に想いを馳せながら、一度小さなため池巡りを楽しんでみてはいかがでしょう。
伏山のため池群
住所:大阪府富田林市伏山
アクセス:南海滝谷駅から徒歩7分