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【富田林市】富田林駅前の大石碑「楠氏遺跡里程標」に、あの五代友厚らが関係していた!驚きの事実に迫る。

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

富田林駅はいわずもがな市を代表する駅で、北口には近鉄バスが主に金剛地域、南口には金剛バスが、東條地域や河南町、千早赤阪村に向かって運行しています。

私も仕事柄ひんぱんに富田林駅からバスに乗って目的地に向かうのですが、意外にも駅前のモニュメントや石碑については見落としがちでした。

先日、あるスポットに行くために富田林駅から金剛バスに乗りました。そこまでは良かったのですが......。

バスが動き出してからすぐに信号が赤になり、駅のロータリーでバスがしばらく止まってしまいました。そのときです。何気なくバスの窓を見ると、今まで意識していなかった「楠氏遺跡里程標」という存在に気づきました。

ということで改めて、富田林駅前南口に。バスから見えた石碑はロータリーの中央にあります。

ここからが本題。では「楠氏遺跡里程標」とは一体何でしょうか?「楠氏」とあることから、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した楠木正成とその一族がかかわっていることは、容易に見当がつきます。

では、これはいつ頃出来たのでしょうか? それは後ろに書いてありました。

明治三十四年十一月建 楠氏紀勝會

この楠氏紀勝會は、1894(明治27)年に千早村(現在の千早赤阪村)の村人の有志が集まって発足したもので、遺跡を顕彰(けんしょう)をする事業を行った組織だったとのこと。

つまり楠木正成の歴史的な功績を遺跡などから探し、それを称(たた)え、広く世間に知らせようという活動のこと。その会が発足してから7年後、1901(明治34)年に石碑が現在の場所に建てられました。

大阪取引所の前に立つ五代友厚の像
大阪取引所の前に立つ五代友厚の像

この遺跡を顕彰する活動は、組織が発足するよりも前、明治二十年代後半から村人たちが自発的に盛り上がったとのことですが、その火付け役がいました。火付け役の教育の結果、村人たちが正成のことを学んだことが大きな理由です。

ではその火付け役とは誰かと言えば、大阪商工会議所などの創設にかかわった政商ともいわれる五代友厚(ごだいともあつ)と、西郷隆盛、木戸孝允と並んで維新三傑と言われている大久保利通(おおくぼとしみち)だったそうです。

千早赤阪村にある楠公誕生地の石碑
千早赤阪村にある楠公誕生地の石碑

大久保利通は1875(明治8)年、大阪会議と呼ばれる政治の在り方について話し合うための会議に参加するために大阪に来ました。大阪滞在中は、囲碁仲間であった五代友厚の大阪の自宅で過ごしたとか。

利通は大阪に来るついでに千早赤阪村まで足を運び、正成に関する遺跡を回りました。楠公誕生地に来たときに、利通は石碑を立てるように周囲の人に勧めたそうです。

ちなみに誕生地にある石碑には、幕末の剣豪だった桃井春蔵(もものいしゅんぞう)の直筆の文字が刻まれています。

話は少しそれましたが、千早村の有志により、この石碑が建てられました。この場所が選ばれたのは、1898(明治31)年に河陽鉄道(かようてつどう)が、古市から富田林の間で開通したからです。

この鉄道は、後に河南鉄道(かなんてつどう)に代わってから柏原から長野(現:河内長野)までを結ぶようになったそうで、現在の近鉄道明寺線と長野線が該当します。

石碑の目的は、この場所から正成ゆかりの場所までの距離を示しています。例えば千早城址までは三里三十二町、赤阪城址までは一里二十五町、天野山金剛寺まで三里十九町といった具合です。

ちなみに、一里は現在の3.93キロメートル、一町が109メートルです。

遺跡までの距離を示しているのと反対方向、正面から見て左横には次のように書かれています。

忠孝著乎天下日月麗乎天天地無日月則晦
蒙否塞人心廃忠孝則乱賊相尋乾坤反覆

漢文なので少しわかりにくいですが、これは水戸黄門こと徳川光圀(とくがわみつくに)が、正成の偉業をたたえて、自筆で刻んだという「大楠公御賛碑」と呼ばれるものの序盤部分。全文は神戸の湊川神社にあるそうです。

駅前にあるので、いつもすぐ横を通り過ぎるのに当たり前すぎて気にもしないであろう石碑。私もバスに乗って見つけるまでは、完全に素通りしていました。

改めて石碑を見て、その意味を調べたとき、英雄をたたえたいという村人の熱い想いが石碑を通じてひしひしと感じられた気がしました。もしこの前を通る機会があれば、少し足を止めて眺めてみてはいかがでしょうか?

楠氏遺跡里程標
住所:大阪府富田林市本町18
アクセス:近鉄富田林駅南口からすぐ

奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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