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【富田林市】飛鳥時代、富田林に四天王寺級の大寺院があった!新堂廃寺はどこに、なぜ作られたか?謎に迫る

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

富田林駅の北側大阪外環状線(国道170号線バイパス)をさらに超えると、金剛地域を構成する丘陵地帯に差し掛かります。その丘のふもとにある緑ケ丘町まで来ると、トップ画像のような広場があります。

ここは自由に出入りできるのですが、公園にしては少し殺風景ですし、グラウンドでもない不思議な空地。

その正体は、1枚の掲示板で明らかになりました。新堂廃寺跡と呼ばれるもので、国の史跡に指定されています。説明を見ると、飛鳥時代前期の仏教が日本に伝来したころ、飛鳥寺が建立されたころとほぼ同時期に、とても大きな寺がこの場所にあったとのこと。

奈良時代にはさらに大きな寺に拡張されていて、四天王寺式の伽藍寺院だったそうです。

参考:四天王寺
参考:四天王寺

画像は大阪市内にある四天王寺ですが、ようするに、かってこのような大寺院が近鉄富田林駅の北側にあったわけです。

「タラレバ」は本来タブーですが、もし今もこの寺が残っていたら。飛鳥、奈良時代でなくても江戸時代の権力者あたりが再建していたら、寺内町を超える名所になっていたかもしれません。

新堂廃寺の存在を知ってすぐ、運の良いことに寺内町で新堂廃寺のセミナーがあったので、より詳しく知ろうと思い学びに行くことにしました。

セミナーの講師は、富田林在住の文学博士、粟田薫先生。後から聞いた話では、非常に人気のある先生で、セミナー当日も満員。休憩中にも多くの人が先生に質問をしていました。

参考:通法寺跡に残る礎石
参考:通法寺跡に残る礎石

セミナーで聞いたことを要約すると次の通りです。

  1. 大正時代に田んぼから飛鳥時代の遺跡が出土し、寺の可能性があった。
  2. しかし礎石のような根本的なものが見つからず、寺の大きさもわからなかった。
  3. 近くに府営住宅が建っていたが、1959年、それを建て直す際に新たな遺跡が次々と見つかった。
  4. その後の大規模調査で、非常に大きな寺院があることが判明した。
  5. 2000年ごろまでに、およその大きさが明らかになる。
  6. 2002年にオガンジ池瓦窯跡、お亀石古墳とともに国の史跡に指定される。

このように、いきなり全貌が分かったのではなく、長い時代をかけてようやくここに大きな寺院があったことがわかってきたということ。

新堂廃寺という名前は正式な名前ではありません。最初に遺跡が見つかったときに、その場所が新堂村だったからとかで、仮りの名前が付けられています。当時のお寺の名前は、いまだ不明だからなんだそうですが、なんともミステリアスな話です。

粟田先生の説明では、研究者の間に、寺の瓦を焼いていたと思われる場所がオガンジ池瓦窯跡という名前から、オガン寺ではないかという説もあるそうです。

オガンジ池
オガンジ池

新堂廃寺で出土している瓦の特徴として、朝鮮半島の古代国家・百済(くだら)のものに非常に似ているとかで、新堂廃寺も百済の影響を受けた寺院ではないかという有力な説があります。

ここで烏含寺(オハムサ)という百済に存在した寺院を日本語で読むと「ヲガンジ」となり、百済の寺と富田林の寺とでは関係があるのではという話になりました。

実際に古代の南河内には多くの渡来人がきたといわれています。またこの時期に百済が新羅(しらぎ)に滅ぼされ、百済王家は日本に亡命して、百済王氏(くだらのこにきしうじ)という豪族になりました。(ただし、南河内に来たわけではないようですが)

このことから、百済の烏含寺の後裔(こうえい:もともとあったものが、場所を移動したという意味)寺院ではと唱えた研究者もいたほどです。

しかしこの講義の最後に、粟田先生は「現時点ではわからない」とおっしゃっていました。今後の研究結果が待たれますね。

参考:天野山金剛寺
参考:天野山金剛寺

余談ですが、同じ名前の寺院をつけているという例として金剛寺があります。河内長野市にある天野山金剛寺が有名ですが、調べると、金剛寺と名乗る寺院が東北から沖縄まで点在しており、現存するだけで32もあります。

だから百済の烏含寺と直接の関係がなく、ただ同じ名前をつけた寺院が富田林にあってもおかしくないともいえそうですが、いったい真相はどうなのでしょうか。

さて、改めて新堂廃寺のところに戻ってみましょう。寺跡のある緑ヶ丘町会が用意した看板などがありますが、あの説明している掲示板がなければ、ただの空地にしか見えません。

ということで、ここで想像力を発揮して、この場所に四天王寺式の巨大寺院があったと考えてみましょう。

参考:薬師寺
参考:薬師寺

大寺院の伽藍がしっかりと残っているといえば、代表的なのは奈良県の薬師寺。例えばこれを目にしっかりと焼き付けて、伽藍の配置などをイメージします。

そのイメージを、この新堂廃寺の跡地にて頭の中で再現します。果たして大伽藍の配置した寺院が見えたでしょうか?想像力を発揮して、この場所にあったという古代幻の寺院を想像してみると、この空地も、また違った見え方ができるかと思います。

新堂廃寺跡
住所:大阪府富田林市緑ケ丘町1
アクセス:近鉄富田林駅から徒歩11分

奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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