【富田林市】すばるホール前の小さなため池「宮林池」。由来から富田林の宅地開発にも繋がる事実がそこには
錦織神社からすばるホールの方に向かって大阪外環状線(国道170号線バイパス)を歩いていると、名前もわからない小さな池がありました。
池の奥に見える森のあたりに錦織神社があります。気になったので、池の名前を調べようとしましたが、地図などでは見つからず、ダウンロードできる富田林市のため池ハザードマップから、ようやく名前が判明しました。
池の名前は「宮林池」というもので、その横に「びわ池」というのがあります。
地図で改めて確認しましょう。すばるホールの北東位置にあるふたつの池で、この宮林池は外環状線で分割されたように見えますね。またびわ池については、埋め立てられたのか、破片のようになっています。
このような小さな池ではありますが、いざ豪雨が降ると周辺に影響が出ることがハザードマップからわかるので、近隣住宅への洪水被害防止の備えとして必要です。
先ほど見つけたのは、外環状線から見て東側の池の様子だったので、ここで外環状線を反対方向に渡り、すばるホール側、西側の池の様子も確認しました。
すっかり暗くなりましたが、西側の宮林池の様子。外環状線の橋げたが見えますので、東側(右側)とはつながっていることが分かります。また左側を見ると堰のようになっていて、その上にびわ池があるようです。
しかしびわ池は、既に多くが埋められていて、破片状に小さな水たまりが残っている程度。実際に見ても池というより、住宅地とか別のものが見えます。
さて宮林池の名前の由来はどこから来たのか調べてみました。住所には宮林はありません。ここで宮林の名前を冠したものとして、宮林古墳というものがこの近くにあったことを突き止めました。
宮林古墳で調べると、富田林市教育委員会が1985(昭和60)年に発掘調査を行った資料がダウンロードできるようになっていました。
そっそくダウンロードして読んでみると、4世紀後半の古墳で、遺体の埋葬されていた部分から武器や工具、装飾品等が見つかったそうで、鉄鏃(てつぞく:矢の先端に取り付ける鋭い鉄の矢先)が15本出土するなどの成果があったそうです。
ではその古墳はどのあたりにあって、池の近くになるのかなと思い調べると、宮林古墳は地図上では出てきません。上記資料では大阪府富田林市甲田585-1・618-35に 所在とありましたが、この住所も特定できず。これはいったいどういうことなのでしょうか?
さらに調べると、意外なことが分かりました。宮林古墳とは小金平古墳群の中のひとつで、他には小金平古墳、樟木谷古墳、葉面山古墳、クロイケ古墳などから構成されています。
古墳群があった場所は、外環状線のすぐ西から始まる羽曳野丘陵の南斜面に点在したそうですが、金剛東ニュータウン開発のため、発掘後に取り壊されたことがわかりました。
ただし小金平古墳だけは、近くの甲田西児童遊園内に移築されたそうです。
ということで今はなくなってしまった宮林古墳。住宅地確保という理由なので、仕方のないことではあります。
それでも結果的に、すばるホール前の外環状線の下にある小さな池の名前「宮林」の存在があったおかげで、30年以上前まであった古墳の事実を知ることとなりました。
宮林池
住所:大阪府富田林市宮甲田町、桜ケ丘町
アクセス:近鉄川西駅から徒歩10分
レインボーバスすばるホール(総合福祉会館)バス停すぐ