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【富田林市】プレ寺内町?ここは穴場の歴史散歩。若松町の東高野街道を歩いてみたら古い町並みがてんこ盛り

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

富田林市で古い町並みと紹介される場合、通常は寺内町を指しますね。もちろんそれには異論はないです。

しかし富田林市の歴史的な場所は、寺内町だけと言えばそうは思えません。甲田地区もそうです。それとは別に、今回、寺内町や富田林駅からも近い若松町の東高野街道沿いも、意外なほど昔ながらの建物が残っています。

今回、東高野街道を歩いてみました。若松町ではグッドデザイン賞を受賞した市営住宅が有名ですが、その東側を通っている東高野街道沿いを歩いてみると、寺内町を思わせるような古い町並みが残っていました。

東高野街道を簡単におさらいすると、京都から高野山に通じている高野街道のひとつで、京都の八幡市から東側の道を南下している街道。

途中、羽曳野市から富田林市内を縦断し、河内長野市内で西高野街道と合流、そのまま高野山に向かう道です。

さて、歩き始めるといきなり古い建物がありました。さらに横には、歴史のありそうな地蔵堂がありますね。

若松町は、寺内町のように国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されているエリアではありません。そのため、行くたびに町の風景が変わっていきます。古い建物の横に新しい建物も普通にあります。

それでも、街道沿いには昔の雰囲気がしっかり残っています。私は少し前に西高野街道を歩きましたが、歩きながら思ったことは、そのときの雰囲気に似ているだけでなく、東高野街道の方が古い建物が残っている気がしました。

西高野街道が平安末期から鎌倉初期に形成されたのに比べ、東高野街道はいつ作られたのか?それがはっきりしないほど、古くからあった街道なのだとか。

地蔵堂の存在も、少し歩けばいくつもあります。名前や由来もわかりませんが、今も地元の人に大切にされている存在ですね。

またこのように、個人の家の敷地内に常夜灯があります。この家の人が管理しているのでしょうか。

そのまま東高野街道を歩いて行きましょう。あとから調べると東高野街道を歩いている人が結構多いことがわかりました。

ただ、その中の多くの人がこの若松町ではなく、この先の寺内町の雰囲気をネットで取り上げています。それは仕方がないかもしれませんね。

このように、東高野街道を歩いていると、まるで寺内町を彷彿(ほうふつ)させるような、古民家があります。2階の虫籠窓を見ても歴史を感じますね。

ここは新しい建物ですが、道前食堂という定食屋さんで、手前が駐車場になっていました。訪問時は営業時間外でしたので、また開いているときに訪問してみます。

歴史を感じる町の中を、さらに歩いていきましょう。

こちらも、本当に歴史を感じますが、この建物の正体は、Heritage Osaka(ヘリテージ オオサカ)という貸別荘です。中はリノベーションされており、洋室のベッドルームやソファーのリビングルーム、そして昔ながらのお庭などの和の雰囲気が味わえるとか。

コロナ禍の前、インバウンドで多くの訪日観光客が訪れたときには、相当喜ばれたのではないかという気がします。もちろん今も営業しており、予約サイトで予約を受け付けています。

蔵が残っているところもありました。

ここは5つの辻になっています。東高野街道はこの位置から見て前方左側です。

こちらの建物も歴史を感じる門構えですね。

東高野街道の道標、富田林駅や寺内町まであとわずか。

共同浴場の葛城温泉の建物が見えました。この先には楠公道路があり、右に曲がれば富田林駅、まっすぐ行けば寺内町はすぐそこです。

ということで若松町の東高野街道を歩きました。今回紹介した距離は大体15分程度で歩けるので、お気軽散歩に最適。寺内町のような観光名所ではないけれど、その雰囲気や歴史を十分に感じました。

奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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