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【富田林市】富田林の姉妹都市をご存じですか?ベスレヘムってどこ?答えは市役所1階にありますよ♪

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

突然ですが、姉妹都市と友好都市の違いはご存じでしょうか?これは国外において、中国以外の自治体を姉妹都市、中国の場合は友好都市と付けられているそうです。理由として中国の場合「姉妹」とすると上下関係(上位の姉がどっちか?)になるからだとか。

それはともかく、富田林市は現時点で次のようになっています。

  • 姉妹都市    「アメリカ合衆国ペンシルバニア州ベスレヘム市」
  • 友好協力関係都市   「中華人民共和国四川省彭州市」

先日、富田林市役所に行ったときのこと、姉妹都市であるベスレヘム市のコーナーがあることに初めて気づきました。このときに、市民でも市役所内に姉妹都市のコーナーがあることはあまり知られていないのではと思い、今回、ご紹介してみることにしました。

ベスレヘムコーナーは、市役所の1階にあります。場所は入り口玄関から右手にあり、ランチタイムには市役所職員から絶大な人気がある喫茶「コンゴー」の手前。

ところでベスレヘム市は、アメリカのどこにあるのでしょうか?地図で確認しましょう。

アメリカの東海岸の近くで、長方形の形をしているのがペンシルバニア州です。ニューヨークやワシントンDCにも近い場所にありますね。

さらにペンシルバニア州を拡大すると、ベスレヘム市の位置が大体図のようになります。これを見ると州最大の町フィラデルフィアの北側です。

さてベスレヘムですが、調べてみると市の人口は7万4千人くらいですが、隣にある週3番目の都市アレイタウンなどと合わせると82万人規模の都市圏になるとか。

町の歴史ですが、1741年にキリスト教の一派であるモラヴィア兄弟団による入植でできた町です。名前の由来は、イスラエルのベツレヘムから付けたとか。

ベツレヘムとはイエス・キリストが生誕したところとされており、そのためでしょうか?アメリカのベスレヘムは、クリスマスの街と呼ばれているそうです。

ベスレヘムは1857年に製鉄所が創業され、企業城下町となって人口も増えましたが、2001年に製鉄所が破産。代わりにカジノリゾート「サンズ カジノ リゾート ベツレヘム」ができました。

現在は経営が変わり、ザ・アウトレッツ・アット・ウィンド・クリークなどの複合施設になっています。

今のベスレヘムは、背後に低い山脈があり、複数の大学があります。今も馬車が走り、昔ながらのレンガ造りの町並みが残っていて、歴史を感じさせる町。背後に山のある風景といい、歴史ある町並みが残っているところも、どこか富田林に似ている気がします。

では、アメリカ東海岸にある小さな町で、富田林はもちろん、日本とも接点が薄いイメージがあるベスレヘムと富田林はなぜ姉妹都市になったのでしょうか。

そもそものきっかけは、1959(昭和34)年に、米国聖公会駐日代表のケネス・E・ハイム牧師(以下ハイム氏)が、富田林市在住の藪本竹次牧師を訪問したことです。

寺内町に隣接した常磐町にある富田林聖アグネス教会
寺内町に隣接した常磐町にある富田林聖アグネス教会

ちなみに聖公会とは英国国教会系のキリスト教の教派。

富田林には寺内町近くに1929(昭和4)年にある富田林聖アグネス教会と、金剛駅近くに1973(昭和48)年に創設された聖ルシア教会があり、年代からして藪本氏は聖アグネス教会の牧師だったと考えられます。

ハイム氏は、富田林に来たついでにグラスボールの工場を見学したとか。グラスボールはクリスマスの飾りのガラス玉のことで、当時の富田林の特産品、北米にも輸出していました。

富田林のグラスボールは、明治40年ごろに「ほうろうビーズ」の製造を始めたのが起源で、明治時代から輸出されていたとか。

全盛期には、羽曳野の古市を含めて全国で7割を占める生産があったそうです。その工場をハイム氏が見たときに、藪本氏にグラスボールの販路拡張のために姉妹都市の提案をしたとか。

クリスマスツリーにつけられるグラスボールのイメージ
クリスマスツリーにつけられるグラスボールのイメージ

グラスボールはクリスマス用の装飾品として使われており、またベスレヘム市は全米でもクリスマス行事が有名な町として知られていたことから、多くのグラスボールが必要だったことが背景にあったそうです。

その後、牧師同士の提案だったものを、ときの上辻富田林市長が知ることとなり、私信でベスレヘム市長に提案の希望を伝えました。

翌1960年に今度はベスレヘム市のシャファ市長から私信が届きました。同時に提携の同意書と市章入りのネクタイピンが富田林市長あてに贈呈されます。

こうして姉妹都市提携の話が進み、1962年に柳井伊太郎議員が富田林を代表し、ベスレヘムを訪問。翌1963年にはベスレヘムから富田林に、市民を代表してバーナード・L.コーヘン夫妻が来訪しました。

こうして1964(昭和39)年4月に姉妹都市の提携式が挙行されました。

このようにしてベスレヘム市と富田林市の交流が始まります。1969年には富田林在住の海外派遣農業実習生がベスレヘム市に訪れて日本人形を贈呈すると、ベスレヘムからも数組の有力者が富田林を訪れています。

1971年には、左近芳長という人がベスレヘム市に日本庭園を造園。また同じ年に、このベスレヘムコーナーに設置している展示品がベスレヘム市から届いたそうです。翌1972年には、富田林市がベスレヘム富田林姉妹都市協会を設立しました。

また1971年には、グローバル化を意識し、第1回英語弁論大会が行われました。画像を見る限り、それからすでに、48回も行われているんですね。それからベスレヘム市への交換学生を募集しており、定期的に富田林の若者が現地を訪問し滞在しています。

さらに2004(平成16)年には姉妹都市提携40周年ということで、ベスレヘム市民訪問団を迎えて、記念式典を行いました。このとき、南河内府民センターの西側の道から大阪外環状線の昭和町1丁目交差点を通る市道寿3号線を「ベスレヘム通り」と命名しました。

この道にハナミズキの記念植樹を行い、寿町1号公園にはそれを記念した表示板が掲げられ、左右の歩道には日本語版と英語版の記念プレートが埋め込まれています。

これは令和に入ってからのものですが、富田林市長が市政施行70周年を記念して富田林・ベスレヘム姉妹都市協会に贈った感謝状です。感謝状が紙ではなく河内材を使っているのが中々面白いですね。

ということで富田林と姉妹都市であるベスレヘムの関係を調べました。

ところで姉妹都市提携のきっかけでもあったグラスボール産業の全盛期、その工場が10数軒あったそうです。しかし、若い後継者がいないことと高齢化の影響で、1991年の報告書の時点で1軒と書いてありました。

今、いろいろ情報を調べても出てこないところを見ると、残念ながらもう無くなっているかもしれません。

ベスレヘムコーナー
住所:大阪府富田林市常盤町1-1(富田林市役所1F)
電話:0721-25-1000
アクセス:近鉄富田林西口駅から徒歩3分

奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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